陽明門「魔除けの逆柱」と徒然草

哲学

豪華絢爛な日光東照宮の陽明門には12本の柱があります。全ての柱にグリ紋(倶利紋)という紋様が施されていますが、北側の一本だけがグリ紋が上下逆に彫られています。
「満つれば欠ける」の諺により、不完全な柱を敢えて加えて魔除けにしたのではと言われています。その柱は「魔除けの逆柱」と呼ばれます。
敢えて不完全な部分を残すという発想が非常に面白いですね。調査によると日光東照宮には陽明門以外にも後2本の逆柱が見つかっているそうです。

まとめ
1.満つれば欠ける
2.不完全は面白い
3.不完全は個性

結論
不完全ということは、個性であり様々な成長の仕方がある。

1.満つれば欠ける

「満つれば欠ける」という諺には、建物は完成と同時に崩壊が始まるという考えがありますが、陽明門以外にも同種の事例があります。
浄土宗の知恩院御影堂の立派な大棟の中央には、不似合いな4枚の瓦が置かれているそうです。御影堂が竣工した際に、名工左甚五郎が敢えて残したままにしたといわれています。
また、家を建てる際に屋根の瓦を敢えて三枚だけ葺かずに残しておくという日本の伝統的な建築の慣習もあります。
完全な状態にしないことで災いを避けるとともに、完璧を求めず、常に改善の余地を残すという考え方には何か惹かれるものがあります。

2.不完全は面白い

鎌倉時代末期に吉田兼好が書いた「徒然草」にも興味深い記述があります。

すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、草段の欠けたる事のみこそ侍れ。
(現代語訳)
何事も完璧に仕上げるのは、かえって良くない。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも文章が脱落した部分が結構ある。

吉田兼好「徒然草」

陽明門だけではなく、内裏(皇居・御所)の建物でも敢えて不完全のままにしていた様子が窺えます。
更に面白いのは、そうした不完全な部分こそ面白く、可能性が見いだせるとしていることです。単に「満つれば欠ける」のを防ぐ為だけではないポリシーと美意識が感じられます。
日本の絵画芸術には敢えて余白を残しているものが結構見受けられます。長谷川等伯による国宝の水墨画「松林図屏風」は、木々の間に多くの余白を残しています。また、尾形光琳による国宝「紅白梅図屏風」にも金地の余白があります。
敢えて書かないことで、余白が見る者の想像を喚起させることまで考えられています。余白はある人にとっては空気や霧であり、またある人にとっては土です。見る者のイメージを限定しないからこそ多くの人を引き込みます。それは、写実を求め細部まで描き込む西洋美術から眺めれば、不完全に映るのかも知れません。

3.不完全は個性

全ての人間が、完璧な頭脳、完璧な容姿、完璧な体躯、完璧な性格を持っていたら、全員が完全になりますので個性は無くなりますし、恐らくはつまらない社会になると思います。
誰もがどこか不完全な部分を持っていて、しかも全部が違う不完全であるところが面白いのだと思います。
各自の不完全な部分が、他者から見たら余白となって様々な想像を喚起させることもあるでしょうし、自分オリジナルの不完全を自覚するからこそ、独自の進化や成長を遂げることもあります。
巷には多くの文学、映画、アニメ等の作品が溢れており、主人公含めて作品中の登場人物に魅了され、また感動もしますが、殆どのキャラクターは不完全です。
極端な不完全さを持ったキャラクターの七転八倒ぶりにワクワクし、共感している訳です。
完全な主人公では、そもそも物語になりません。

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