お前だって論法

バイアス

「お前だって論法」は、相手の主張や批判に対して、相手自身が同じような行動をとっていることを指摘することで、その批判を無効にしようとする論法です。例えば以下の通りです。
A:「最近、あなたは遅刻ばかりしているよね。」
B:「そっちだって、先週遅刻したでしょ。その口が言うか!」
友人間の問題から、国際問題に至る迄、喧嘩の原因は殆ど「お前だって論法」から生じているように思います。

まとめ
1.新約聖書における「罪の女」のエピソード
2.歴史に見る「お前だって論法」
3.「お前だって論法」では何も解決しない

結論
畢竟するに、物事を解決するには根本原因に立ち返るしかない。

1.新約聖書における「罪の女」のエピソード

新約聖書のヨハネによる福音書に「罪の女」のエピソードがあります。
イエスがエルサレムの神殿で教えを説いていると、姦淫の罪で捕らえられた女性が法律学者とファリサイ派の人々によって連れてこられます。彼らはモーセの律法ではこのような罪人を石打ちにするよう命じているが、イエスはどう考えるかと問いかけます。
イエスは彼らに対して、「あなたたちの中で罪のない者が、最初にこの女に石を投げなさい」と答えます。これを聞いた人々は、自らの罪を認識して去っていきます。
イエスの論法は見事です。「結局、皆も罪人だよね。罪人が罪人を罰するの?」ということです。「お前だって論法」で反論を見事に完封しました。しかしながら、法律学者とファリサイ派の人々に怨念は残ったことでしょう。最終的にイエスはゴルゴダの丘で磔刑に処されます。

2.歴史に見る「お前だって論法」

歴史上でも「お前だって論法」は頻繁に登場します。
一例を挙げると、満州事変です。1931年に日本軍が中国東北部の満州に侵攻し、事実上の占領を開始した事件です。満州事変は、その後の日本による満州国の建国、さらには日中戦争へと繋がる重要な転換点となりました。国際社会はこの行動を激しく非難しましたが、アメリカからの非難に対して日本は、「日本が満州でやっているのは、アメリカがテキサスやパナマでやったのと同じことだ」と反論しました。「お前だって論法」です。
アメリカは独立後も領土拡大を続け、メキシコの領土を侵犯するようになりました。メキシコ領であったテキサスにはアメリカ人が入植して、1836年に一方的にテキサス共和国の独立を宣言し、1845年にアメリカはテキサス共和国を併合しました。事実上の乗っ取りです。その後アメリカがメキシコを挑発して米墨戦争となり、メキシコは敗北してカリフォルニア等を失い、最終的に国土は半減しました。メキシコは「天国に最も遠く、米国に最も近い国」と言われました。
パナマ運河については、当初フランス主導で建設が開始されましたが、一度頓挫します。その後、アメリカのセオドア=ローズヴェルト大統領がコロンビアに介入してパナマを独立させて運河の建設権を獲得し1914年に完成しました。完全に利権狙いです。
日本もアメリカもやっていることは、悪辣無比の所業です。
また、長期間に亘り中東情勢は緊迫しており、「お前だって論法」の応酬が繰り返されていますが、そもそもの原因はイギリスの三枚舌外交(バルフォア宣言、フサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定)です。
欧米列強が、アフリカや中東で地形や民族を無視して勝手に直線的な国境を引いたせいで、多くの紛争が起きています。クルド人問題も然りです。いずれも悪辣無比の所業です。

3.「お前だって論法」では何も解決しない

とどのつまり、世界中の殆どの国(少なくとも主要国と言われる国々)は悪辣無比の所業を過去にしてきたと言っても過言ではありません。
イエスは、「あなたたちの中で罪のない者が、最初にこの女に石を投げなさい」と言いました。「この女」に特定の国を当てはめて考えると、結局どの国も石を投げつける権利はないということになりそうです。
「お前だって論法」の様な論法をWhataboutism(ホワットアバウティズム)と言います。
“What about ○○ ?” (「じゃあ○○はどうなんだ?」)ということです。
ロシアは旧ソ連時代からWhataboutismを多用してきたと言われます。ドナルド・トランプも同様の指摘を受けています。
SNS含めネット上の論争の大宗はWhataboutismと言えます。
結局は誰にも石を投げつける権利がないのであれば、議論が始まる前にWhataboutismは禁止するように当事者全員で取り決めるしかありません。つまり「お前だって」と誰かが口走った瞬間に議論は停止し、その責任はその発言者に帰するということです。
畢竟するに、物事を解決するには根本原因に立ち返るしかありません。「お前だって論法」を封印して初めて根本原因に立ち返った建設的な議論が始まります。

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