仮想世界での幸福と現実世界での幸福

哲学

スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「レディ・プレイヤー1」では、仮想世界と現実世界との間で繰り広げられる冒険が描かれています。
現実世界は荒廃し、仮想現実は現実世界からの逃避場所としても描かれています。最終的には、現実にも確り向き合うべきだという、ありがちな結末に落ち着いた感があります。一方で、二つの世界を区別する必要があるのかという論点もあると思います。

まとめ
1.脳にとっては仮想世界と現実世界に違いはない
2.仮想世界と現実世界の二項対立に関して脱構築する時代がくる
3.人類は未だに生命を定義できていない
結論
「仮想世界」と「現実世界」の境界線が溶けていき、脳の材質が有機物かシリコンかという差も意識されなくなったら、幸福感含めて既存の価値観は跡形もなくなる。

1.脳にとっては仮想世界と現実世界に違いはない

我々の脳は頭蓋骨という箱の中にあります。五感から電気信号を受け取って世界を認識しています。仮想世界であっても、現実世界であっても、脳が電気信号で世界を認識している点では同じです。
仮想世界のクオリティが高まれば、いずれ現実世界と区別が出来なくなります。まさに「胡蝶の夢」の状態です。
ある日、荘子は自分が蝶となり、軽やかに飛び回る夢をみます。目が覚めた後に、荘子は疑問を抱きます。「自分が夢を見て蝶になったのか、それとも実は夢を見た蝶こそが本来の自分であって、今の自分は蝶が見ている夢なのか」と。
哲学者カントは、現実の「物自体」を認識することは出来ないと言いました。
我々が認識できるのは対象がどのように我々に現れるか(現象)だけであり、対象が何であるか(物自体)は認識することが出来ないとされています。
これは、人間の認識が我々自身の感性と悟性によって制約されるためで、これらの枠組みを超えて物自体を知ることはできないからです。因みに感性は、五感で外界から得る情報を受け取る能力、悟性は、物事を理解し、それらを抽象的な概念やカテゴリーに分ける能力です。様々な種類と色の花を視覚で捉えるのが感性による経験です。そして、その花が「バラ」や「桜」であると認識するのが悟性です。人間の視覚は可視光線しか捉えないので、紫外線やX線は見えません。物自体の本当の姿は分かりません。
現実世界に対する認識も、物自体でない以上、ある意味で脳が作った仮想現実と言えるかもしれません。

2.仮想世界と現実世界の二項対立に関して脱構築する時代がくる

映画「マトリックス」では、主人公ネオとともにAIと戦う仲間たちが登場します。しかしネブカドネザル号のクルーメンバーであるサイファーは、ネオたちを裏切りAI側に寝返ります。その時のセリフがとても印象的です。

I know this steak doesn’t exist.I know that when I put it in my mouth,the Matrix is telling my brain that it is juicy and delicious.After nine years,you know what I realize?Ignorance is bliss.
(このステーキが実は存在しないことは分かっているさ。口に入れたとき、マトリックス(AI)が俺の脳にそれがジューシーでおいしいと伝えていることも。9年経った今、俺が何を悟ったか分かるか?「無知は幸福」だということさ。)

映画:マトリックス

そして、サイファーは荒廃しきった現実世界を捨て、仮想世界に戻っていきました。我々は、現実世界で誕生し成長してきましたが、今後は仮想世界の比重が増していくと思われます。近い将来、アバターとして生きるのがデフォルトになるかもしれません。人間はとかく「仮想世界」と「現実世界」のような二項対立を持ち出し、優劣をつける癖がありますが、二つの境界線は増々曖昧になっていきます。脱構築により全てが「胡蝶の夢」のような状態になるかもしれません。

3.人類は未だに生命を定義できていない

生命の定義は科学者や哲学者の間で広く議論されてきましたが、現在でも統一的な定義が存在するわけではありません。
一般的には「自己と外界との境界」「代謝」「自己複製」という三つの定義が生命の定義として挙げられることが多いです。
これらは物質という制約を外せば、仮想世界でも成立する定義です。
アニメ映画「攻殻機動隊」では、プロジェクト2501(通称:人形使い)というAIが登場します。当初は外務省が開発した単なる情報戦争用のハッキングプログラムだったものの、独自の進化を遂げて自我を持つようになり、自己を「生命体」と主張します。
また、哲学者ヒラリー・パトナムが提唱した「水槽の脳」という思考実験があります。
脳が体から取り出され、生命を維持する為の水槽に保存されていると仮定します。そして、この脳にはコンピュータから電気信号が送られ、これによって脳はまるで体がまだ健在であり、普通に生活しているかのような体験をしているという状態を考察しました。
「仮想世界」と「現実世界」の境界線が溶けていき、脳の材質が有機物かシリコンかという差も意識されなくなったら、既存の価値観は跡形もなくなるでしょう。

関連記事
 経験機械 

タイトルとURLをコピーしました