太宰治と浦島太郎

哲学

「浦島太郎」は、日本で最もよく知られた物語です。浦島太郎は苛められている亀を助けたところ、お礼に竜宮城に連れて行かれます。竜宮城では美しい乙姫にもてなされ、豪華なごちそうや音楽とともに楽しい日々を過ごします。しばらくたって母親のことが心配になった浦島太郎が家に帰ろうとすると、乙姫から「決して開けてはいけない」と玉手箱を渡されます。浦島太郎が自分の村に戻ると、地上では非常に長い年月が過ぎていたことを知ります。そして浦島太郎は玉手箱を開けてしまい、お爺さんになってしまいました。
太宰治が手がけた「お伽草紙」の中の一編「浦島さん」は、一般的な「浦島太郎」の物語を独自の視点で再解釈した作品です。
一般的な物語と微妙に設定が異なっており、太宰治ならではの解釈が面白く、なかなか含蓄があります。

まとめ
1.浦島太郎と批評し合う社会
2.浦島太郎は、何故竜宮城に行ったのか
3.乙姫が玉手箱を渡した理由

結論
忘却は、人間の救いである。

1.浦島太郎と批評し合う社会

一般的な物語では、浦島太郎は漁師ですが、太宰版では丹後の旧家の長男という設定です。「人は、なぜお互い批評し合わなければ、生きていけないのだろう」と素朴な疑問を抱いており、面倒くさい社会に対して多少うんざりしている人物として描かれています。いかにも太宰治らしい設定です。心根の真っ直ぐな好青年の漁師というイメージとは乖離があります。浜辺で幽かな溜息をついていたところに、以前助けてやって亀が登場します。この亀のキャラクターも一般的な物語と異なります。亀は無遠慮な口調で、兎に角饒舌且つ毒舌です。しかもなかなかロジカルです。
浦島太郎は、当初は竜宮城についても半信半疑な様子でしたが、ついには亀に説得されて、竜宮城へと出発します。

2.浦島太郎は、何故竜宮城に行ったのか

当初、竜宮城について半信半疑であった浦島太郎は、饒舌な亀に閉口気味でしたが、亀からの「あなたは、さっき批評はいやだとつくづく慨歎していたではありませんか、竜宮には批評はありませんよ」という殺し文句に心を惹かれて、竜宮城にいくことにします。
太宰版物語では、批評ばかりの人間社会に疲れていた為に興味をもったことが、竜宮城に旅立った根拠になっている訳です。
竜宮城に到着した後、亀は人間の言葉について興味深いことを述べます。
亀曰く、「言葉というものは、生きている事の不安から、芽ばえて来たものじゃないですかね。腐った土から赤い毒きのこが生えて出るように、生命の不安が言葉を醗酵させているのじゃないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさえなお、いやらしい工夫がほどこされているじゃありませんか。人間は、よろこびの中にさえ、不安を感じているのでしょうかね。人間の言葉はみんな工夫です。気取ったものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでしょう。」
太宰が亀にこんなことを言わせているのは、彼の本音だからかもしれません。不安という苗床から生まれた言葉には、いやらしい工夫が施され、その言葉を使って絶えることのない批評が繰り返されている。このような言葉の起原についての考察は、独特且つ斬新です。

3.乙姫が玉手箱を渡した理由

一般的な竜宮城の設定では、大きなお皿に鯛の刺身や鮪の刺身、赤い着物を着た娘の手踊り、金銀珊瑚綾錦に満ちていますが、太宰版竜宮城は、ただただ静かで、広大な空間が広がっており、おいしい酒、食事が豊富で、ゴロゴロした生活が出来る環境でした。ここではすべてが許されており、批評もなく、忖度もなく、他者との煩わしい関係もありません。何の気兼ねもない世界です。まさに浦島太郎が求めていた世界でした。
しかしながら、やがて浦島太郎は、そんな生活にも飽きてしまい、地上の生活が恋しくなってしまいます。
そして、乙姫は玉手箱(太宰版では貝殻)を浦島太郎に渡し、彼は地上に帰っていきます。乙姫から「開けてはいけない」という戒めは一切ありませんでしたが、亀からは開けない方がいいというアドバイスがありました。しかしながら、最後はお約束通り浦島太郎は開けてしまい、お爺さんになってしまいます。
開けてはいけないものを乙姫は何故渡したのか。このミステリーに対する太宰治の答えには興味深いものがあります。
「忘却は、人間の救いである」ということです。思い出は遠く隔たる程美しくなる。淋しくなければ、浦島太郎は玉手箱を開けることはない。どうしようもなく淋しくなってしまったら、開けてしまう。玉手箱を開けたら、忘却により救われる。つまり、玉手箱を渡したのは、乙姫の深い慈悲であるという解釈です。
忘却を得た浦島太郎は、それから十年、幸福な老人として生きたそうです。

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