トルストイと人間の真価

哲学

「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」等で知られるロシアの文豪トルストイは、人間の真価に関して1つの名言を残しています。世界的文豪が、人間の真価を数式で表現している点が興味深いです。

「人間の真価は分数のようなものだ。分母は自己の評価、分子は他人による評価である。分母が大きくなるほど、結局、真価は小さくなる。」

まとめ
1.分母:自己の評価
2.分子:他人による評価
3.真価:他人による評価÷自己の評価

結論
長期的に自分の真価を高めるには、ただ只管に謙虚を心掛けるべし。

1.分母:自己の評価

「(人間の真価)=(他人による評価)/(自己の評価)」
このトルストイの名言の興味深いところは、数式の分母については補足説明しているにも拘らず、分子については一切説明をしていないことです。
つまり、「分母が大きくなるほど、結局、真価は小さくなる。」という説明はしていますが、「分子が大きくなるほど、結局、真価は大きくなる」乃至は「分子が小さくなるほど、結局、真価は小さくなる」とは述べていません。
敢えて人間の真価を分数で表現し、しかも分母である「自己の評価が大きくなること」に対してネガティブな表現でフォーカスしています。それがトルストイの狙いであったに相違ありません。
自己の評価が高過ぎると、プライドが高くなり、傲慢な態度をとりがちになります。トルストイはこうも云っています。

謙虚な人は誰からも好かれる。それなのにどうして謙虚な人になろうとしないのだろうか。

自分をその人より優れているとも、偉大であるとも思わないこと。また、その人を自分より優れているとも、偉大であるとも思わないこと。そうした時、人と生きるのがたやすくなる。」

我々が知りうる唯一のことは、我々は何も知らないということである。そしてこれが人間の知恵が飛翔しうる最高の高みなのだ。」

要するに、謙虚であること、しかし卑屈になってもいけないということです。その絶妙なバランスが大事だということでしょう。
自分の評価は、自分で決めることができます。トルストイが自分の評価についてのみ補足説明をしている理由はそこにあると思います。

2.分子:他人による評価

トルストイは、分子である「他人による評価」について補足の説明はしていませんが、そのことにも彼の意図が潜んでいるように思います。つまり「他人による評価」については、語っても意味が無いというメッセージです。
他人による評価は自分でコントロールすることが出来ません。評価を上げるべく他人に忖度し、機嫌を取ることは出来ますが、それをどう評価するかは結局他人次第です。
フロイトやユングに並ぶ心理学三代巨頭の一人であるアドラーの唱えた心理学の中心理論に「課題の分離」があります。
簡単に云えば自分の課題と他人の課題を明確に区別することを指します。自分の課題については真摯に向き合うべきですが、他人の課題には立ち入るべきではないという考え方です。
言わずもがなですが、他人による評価は、他人の課題です。他人の課題に不必要に介入することは、相手への支配や依存につながる危険性がありますし無駄です。他人の為に生きる人生になってしまいます。

3.真価:他人による評価÷自己の評価

他人による評価は、所与のものであり、自分の課題ではありません。自己の評価を適正に保つには、謙虚である必要があります。
また、謙虚であれば誤解など余程のことが無い限り、他人のよる評価も一定のレンジ内に収斂する筈です。ということは謙虚さを保っていれば、分母が適正水準を保ち、それが分子の適正化にも資することになります。分母の膨張が抑制されることで、分子も緩やかに増加します。最終的に自分の真価は上がるかも知れません。
傲慢な態度で短期的利益を求めて打算的行動をとると、恐らく真価は下がります。一方で謙虚な態度で対処すれば、真価は徐々に上がります。真に打算的といえるのは謙虚な姿勢の方だと思います。長期的にはこちらの方が真価が高い水準で安定する筈だからです。

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