アウグスティヌスとパスカルの時間論

哲学

一般的に、時間は直線的に流れると考えられています。過去・現在・未来が数直線上に配置されているイメージです。キリスト教の教義では、時間は神の創造から始まり、終末へと向かう一方向の流れとして捉えられています。現在社会では、こうした直線的な時間の概念を共有しているように思えます。
一方で、時間は繰り返し循環し、概日リズムや季節サイクルのように周期的な流れを持つという東洋的な時間の概念もあります。
キリスト教に関係の深い教父アウグスティヌスやパスカルの時間論も非常に興味深いです。

まとめ
1.アウグスティヌスの時間論
2.パスカルの時間論
3.未来のことばかり考えると何もできない

結論
過去・現在・未来のバランスをとる。もっと現在に集中する。

1.アウグスティヌスの時間論

ローマ帝国時代のキリスト教の教父アウグスティヌスの時間論は、主著「告白」の中で展開されています。
アウグスティヌスの時間論はこうです。過去はもはや存在せず、記憶の中にのみ存在します。
一方で未来はまだ存在せず、期待や予測の中にのみ存在します。現在だけが実際に経験される時間ですが、瞬時に過ぎ去る為、捉えどころのないものです。
過去は記憶、未来は期待、現在は捉えどころがないので、時間は物理的な現象ではなく、人間の心の中に存在すると彼は考えました。時間は人間の心の中でのみ経験される相対的なものであるという訳です。
普段から直線的な時間に慣れ親しんでいるせいか、つい過去も未来も物理的な現象と考えてしまいますが、なかなか反論の難しい命題です。

2.パスカルの時間論

「人間は考える葦である」で知られるフランスの思想家パスカルも、興味深い時間論を主著「パンセ」で展開しています。

各々、自らの思いを吟味してみるがよい。それがすべて過去か未来に占められているのに気づくだろう。われわれはほとんど現在のことを考えない。考えるとすれば、未来を思い通りにするための光明を現在から引き出すためだ。現在は決してわれわれの目標ではない。過去と現在はわれわれの手段である。ただ未来だけが目標なのだ。こうしてわれわれは決して生きていない。生きようと願っているだけだ。そしていつでも幸福になる準備ばかりしているものだから、いつになっても幸福になれるわけがない。

岩波文庫「パンセ(上)」

パスカルは、過去と未来のことばかり考え、唯一自分のものである現在を蔑ろにしていることを非難しています。現在も未来の準備ばかりしているので、幸福になれる訳がないという理屈です。
確かに、現在を楽しむことなく、未来の準備の為に終生苦労しているだけでは、理論上死ぬまで幸福な時間は1秒もないことになります。
そうかといって、未来の幸福を目指して苦労することを否定してしまっては、受験勉強などは全く意味がないことになります。刹那的な快楽に身を滅ぼすことにも繋がるかもしれません。
尤も、パスカルにもそのような極端な意図はなかったでしょう。そもそもパスカルには護教書執筆の構想があり、それの材料として「パンセ」の文章を書きためていたらしいということが次第に明らかになってきています。彼自身が未来の準備をしていた訳です。

3.未来のことばかり考えると何もできない

アウグスティヌスの言う通り、過去や未来は心の中にしかないのかも知れません。また、パスカルの言う通り、過去や未来にばかり思考を割いていては、現在を楽しむことはできないし、現在でしか味わえない幸福感を享受できないのかも知れません。
長年生きていると、「この人には二度と会うこともないだろう」と思われる人に次々と出くわします。地方から上京してきた場合、二度と会わない同級生も大勢います。最後には誰でも死を迎えますので、来世での再会を信じない以上は、全ての人間と理屈上別離することになります。
「どうせこの人とは二度と会わないから」「二度とこの学問は使わないから」とあまりに長期的な未来まで考えてしまうと、究極的には「どうせいつか死ぬから何もしない」という結論になってしまいます。
かなり高齢になってから語学などを学び始める方もいますが、未来の幸福の準備だけでやっている訳ではないと思います。きっと今それが楽しいからです。
過去のトラウマに捉われているままでも、未来の準備に苦しんでいるだけでも現在は楽しめません。現在を楽しむか、未来の準備自体を現在楽しめるかしかありません。畢竟、現在を楽しむしかないので、現在に集中すべきだと思います。
関ヶ原の合戦で敗れて捕縛された石田三成が、処刑直前に喉が渇いたので警護の侍に水を所望したところ、「水はないが、柿がある。代わりにこれを食せ」と言われた際、三成が「柿は痰の毒であるのでいらない」と答えたという逸話があります。警護の侍が「これから首を切られるのに、毒断ちして何になる」と笑ったところ、三成は「大志を持つものは、最期の時まで命を惜しむものだ」と答えたと伝わっています。
ガンディーは、「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ」という言葉を残しました。
現在を生きるとは、こういう姿勢のことなのかも知れません。

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