スワンプマン(沼男)と自己同一性

哲学

寝る前の私と起きた後の私は、本当に同一人物なのだろうかと考えたことはないでしょうか。
アメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンによって提唱された思考実験に「スワンプマン」というものがあります。概要は以下の通りです。
男性がハイキングに出かけ、湿地帯で雷に打たれて死んでしまいます。その瞬間、もう一つの雷が湿地帯の泥と化学反応を起こし、死んだ男性と全く同じ見た目、同じ記憶を持つ存在が生まれます。これがスワンプマンです。
スワンプマンは、原子レベルで死んだ男性と全く同じ構造を持ち、見た目も全く同じです。脳の状態も完全に一致しているため、記憶や知識も全く同じで、今後も死んだ男性として生活していきます。
スワンプマンは死んだ男性と同一人物と言えるでしょうか?それとも別人でしょうか?

まとめ
1.自己同一性の定義は意外と難しい
2.スワンプマンがいれば死んでもよいと思えるかは微妙
3.マインド・アップローディングは自己同一性を不安定にする
結論
科学技術の発達で、自己の定義も死の意味も変わる。生命倫理が時代に追い付かない可能性もある。

1.自己同一性の定義は意外と難しい

アイデンティティや自己同一性と言われるものは、意外と難しい問題です。
映画「スタートレック」シリーズにも、転送装置という装置が登場します。これは物体や生命体を一つの場所から別の場所へ瞬時に移動させる装置で、物質を分解して転送ビームに乗せて運び、目的地で再構築します。転送前と転送後では同一人物と言えるでしょうか?
また、「テセウスの船」という有名な話もあります。これは、古代ギリシャの哲学者プルタルコス
が提唱した哲学的パラドックスです。
英雄テセウスが所有していた船が、彼が亡くなった後もアテネの人々によって保存されていました。しかし、船の部品が劣化するたびに新しいものに取り替えられ、最終的には船の全ての部分が取り替えられました。この後もそれは「テセウスの船」と呼ばれていました。
全ての部品が取り替えられた後の船は、元のテセウスの船と同じ船と言えるのでしょうか?
もし同じ船と言えるのなら、何故言えるのでしょうか?
テセウスの船は物質ですが、人間の体も新陳代謝により、数年で全体が入れ替わると言われています。数年前の私と今の私が同じ人間と言えるかどうかは、難しい問題です。

2.スワンプマンがいれば死んでもよいと思えるかは微妙

スワンプマンの思考実験では、男性がハイキングに出かけ、湿地帯で雷に打たれて死んでしまいました。つまり事故です。
それでは、スワンプマンの原理が科学で解明され、本人が死ぬことなく意図的にスワンプマンを発生させることができたらどうなるでしょうか。
科学は、時として倫理を飛び越えることがあります。
殺される前にスワンプマンを作っておき、自分からスワンプマンに伝言を残すこともできます。その場合、本人は後事を託して安心して死ぬことが出来るでしょうか。
つまり、「記憶までもが完全に複製されたクローン」がいた場合、複製された自己が生き残ればそれで良いと思うのか、自己はあくまで自分だけだと思うのかということです。
結論はひとそれぞれだと思います。複製された自己は、自我なのか他我なのか、その解釈によるからです。

3.マインド・アップローディングは自己同一性を不安定にする

自己同一性に関連して、マインド・アップローディングについても考えてみたいと思います。
マインド・アップローディングは、人間の心や意識をデジタルの形式に変換してコンピュータに移す、またはクラウドへアップロードするという概念です。
これは一部の科学者や哲学者によって提唱されている理論で、現在の技術ではまだ実現可能な段階にはありません。
人間の脳は約800億のニューロン(神経細胞)とそれらがつながる膨大な数のシナプスから成り立っています。そして、これらのニューロンとシナプスのパターンが意識と思考を生み出すとされています。
マインド・アップローディングが実現すれば、「不老不死」の技術ともなり得ます。身体が老化や病気で機能を失っても、心や意識だけはデジタルの形で永遠に生き続けることが出来るからです。
スワンプマンの思考実験と比較すると、身体は無くなりますので記憶とアルゴリズムのデジタルデータだけになるということです。
有機物で出来た身体で有限の時間を生きるのか、デジタルデータとして永遠に生きるのかという問題です。そしてデジタルデータになったとき、身体を失っても自己同一性は確保されたと言えるのかという問題もあります。
人類は、今もって生命とは何かを定義出来ていません。記憶とアルゴリズムのデータが生命といえるのか、生命とはいえない場合にはそもそも自己といえるのか、自己同一性の概念は不安定な状況に陥ります。
科学技術の発達で、自己の定義も死の意味も変わる可能性があります。
士郎正宗原作のアニメ映画「攻殻機動隊」に示唆に富んだ描写が出てきます。
「プロジェクト2501」(人形使い)は、当初は外務省の秘密プロジェクトによって生み出された人工知能で、情報戦争やサイバー犯罪のために使用されていました。
このAIは自己進化を遂げ、自意識を持つに至ります。そして自己を生命体と主張します。昨今の科学技術の進歩は凄まじく、量子コンピュータ等の実用化は、何をもたらすか分かりません。生命倫理が時代に追い付かない可能性もあります。

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