藁人形論法(ストローマン論法)は、相手の主張を正確に捉えずに歪めたり、単純化したりして反論する論証の誤りのことです。例えば以下の例があります。
A:子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。
B:そうは思わない。なぜなら子どもが屋外で遊ぶのは良いことだからだ。子どもを一日中家に閉じ込めておけというのか。
こういう屁理屈は日常でもよく聞きます。このケースでは、Aが「道路」としか言及していないことに対し、Bは「道路=屋外」であると誘導し、「屋外で遊ぶなというのか」という論法を展開しています。「道路」が「屋外」という藁人形にすり替えられています。
1.コロナ禍にもあった藁人形論法
数年間に渡って人類を苦しめてきたコロナ禍。藁人形論法は公衆衛生対策や経済政策に関する議論で見られました。
A:マスクの着用や社会的距離の確保などの予防措置を徹底すべきだ。
B:経済活動を完全に止めてしまえと言うのか。それは国民生活にとって致命的だ。
この場合は、「予防措置徹底=経済活動完全停止」であると誘導され、藁人形にすり替えられています。
実際には、予防措置徹底と経済活動完全停止は異なる議題であり、双方を両立させるような建設的な議論を妨げてしまっています。
2.歴史を動かした藁人形論法
コロナ禍に限らず藁人形論法はしばしば歴史を動かしています。米ソ冷戦時代の例を考えてみます。
まず、資本主義陣営のアメリカです。
A:私は社会的公正を重視したリベラルな政治が必要だと思う。
B:そうは思わない。リベラルな政治は共産主義に直結し、資本主義陣営の敗退ひいてはソ連への屈服を意味する。
ここでは「リベラル=共産主義」という藁人形へのすり替えがされています。この論法で「共産主義者」や「ソ連のスパイ」、もしくは「その同調者」とされる人々を大量に糾弾したのが、マッカーシズムです。主導したジョセフ・マッカーシー上院議員は、特定の個人や団体が共産主義者であると非難しましたが、その証拠は薄弱であったり、全く存在しなかったりしました。糾弾は、政府関係者や陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家、さらにはアメリカの同盟国国民であるカナダ人やイギリス人、日本人にまで及び、「赤狩り」の影響は西側諸国全体に行き渡りました。被害者には、喜劇王チャップリンや原爆の父オッペンハイマーも含まれます。
次に、共産主義陣営の中国です。
A:私は国の発展の為には知識人は必要だと思う。
B:そうは思わない。知識人は反革命的な資本主義者であり排除しなければならない。
ここでは「知識人=資本主義者」という藁人形へのすり替えがされています。この論法で、知識人とされる人々を大量に糾弾したのが文化大革命です。知識人が標的にされたのは、彼らが旧体制の代表であり、資本主義や伝統的な価値観を持ち込む「四旧」(旧思想、旧文化、旧習慣、旧習俗)の担い手と見なされた為です。反革命分子と定義された層はすべて熱狂した紅衛兵の攻撃と迫害の対象となり、組織的・暴力的な吊るし上げが中国全土で横行しました。
藁人形論法にイデオロギーは関係ありません。黒幕は巧みに藁人形にすり替え、大衆を扇動していきます。
3.安易に共感してはならない
冒頭に挙げた事例を再掲します。
A:子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。
B:そうは思わない。なぜなら子どもが屋外で遊ぶのは良いことだからだ。子どもを一日中家に閉じ込めておけというのか。
Bの「子どもが屋外で遊ぶのは良いこと」については、殆どの人が共感できることであり異論はないでしょう。但し、そこへの共感を判断根拠としてBの意見に賛同することは危険です。Bの狙いは共感を得ることで、自分の意見に同調させることがだからです。共感は共感として持っても良いのですが、思考回路からは避けておく必要があります。仕組まれた共感に安易に乗ってはいけません。
社会の多様性は大事です。民主主義国家では、50%以上が藁人形に騙されたら方針が決まってしまいます。「それ藁人形だろ!」とツッコミを入れる人が相当程度いないと、共感による同調圧力で押し流されてしまいます。