阿部一族と恥

哲学

文豪の森鴎外が著した「阿部一族」という短編小説があります。
江戸時代初期の話です。肥後藩主細川忠利の病状が悪化し、側近たちは次々と殉死を願い出ます。老臣の阿部弥一右衛門もまた殉死の許可を乞いますが、厳格な彼を昔からけむたがっていた忠利は「生きて新藩主を助けよ」と遺言し、殉死の許可は出ないまま忠利は死去してしまいます。
旧臣たちが次々と殉死してゆく中で、弥一右衛門は従前通り勤務していましたが、家中から命を惜しんでいると誹謗中傷されます。その後弥一右衛門は一族を集め、彼らの面前で切腹を遂げます。
しかし、今度は忠利の遺命に背いたことが問題視され、阿部家は藩から殉死者の遺族として扱われず、家格を落とす処分をされてしまいます。無念の長男権兵衛は、忠利の一周忌法要の席上で髪を切り、非礼を咎められて捕縛され縛り首とされます。藩から阿倍一族に加えられた度重なる恥辱に、次男の弥五兵衛はじめ一族は、意を決して屋敷に立てこもり、 藩の差し向けた討手と死闘を展開して全滅します。
死よりも面目を優先した訳です。日本における「恥」とは何かを考えさせられる作品です。

まとめ
1.日本に根付いた恐るべき恥の文化
2.日本人は恥を逃れると態度が急変する
3.年々恥からは逃げやすくなっている

結論
恥からは積極的に逃げるのが妙手。他人をリセットする。

1.日本に根付いた恐るべき恥の文化

阿部一族は武士の一族です。武士の精神は武士道と密接に関係しています。武士道といえば、新渡戸稲造が著した「武士道」が有名ですが、彼が本書を着したのは、ベルギーの学者から「なぜ日本人は宗教教育がないのに、道徳的な素養が備わっているのか」という質問を受けたのがきっかけのようです。
彼によれば、武士道には義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義の七つの徳目があります。名誉とは武士にとって最高の善であり、恥辱を極度に嫌います。日本人は腹に魂があると考えていました。切腹とは、ただの自死ではなく、儀式であり、不名誉を逃れ、命を捨ててみずからの誠を証明する方法でした。切腹の儀式を見事に終わらせることは、名誉でさえありました。
阿部一族にとって、殉死を許されずに忠義を示せず、家格を落とされて名誉を傷つけられ、切腹を許されずに縛り首とされて誠も示せないという状況は耐え難いものであり、全滅覚悟で名誉を守る必要があった訳です。
武士道は仏教・神道・孔子・孟子などの教えが混ざり合って出来上がった思想といえますが、 武士以外にも伝播し、何よりも恥を恐れる日本の文化が形成されました。

2.日本人は恥を逃れると態度が急変する

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、主著「菊と刀」において、日本の文化を「恥の文化」と定義し、欧米の「罪の文化」と対比させました。
欧米人は、神に背くような「罪」を犯さないことが行動規範ですが、日本人は、他人からどう見られるかという「恥」が行動規範となります。つまり、行動規範に常に他人が存在する故に、 その他人によって言動が相対的に変化します。絶対的な神や理性を信じる欧米人にはそれが不可解に見える訳です。
例えば、日本軍人は死ぬことが最も尊く、捕虜になることは許されません。恥への恐怖があるからです。しかし、いったん捕虜になってしまうと、「もう恥をさらして母国には帰れない」と考えて、大多数は連合国側に協力するようになったそうです。
恥で縛られた環境から異世界に退避できれば、呪縛から救われる訳です。何故なら周囲にいる他人が別の他人に入れ替わるからです。欧米人のように唯一絶対で全知全能の神から常に見られている訳ではありません。

3.年々恥からは逃げやすくなっている

阿部一族が全滅しなければならなかったのは、肥後藩にしか居場所がなかったからです。脱藩はご法度ですから勝手に逃げることは出来ません。
異世界アニメではないですが、もし全滅前夜に阿部一族全員が異世界に転生したら、新しい世界に順応して生き延びたと思います。雪辱の機会は永久にありませんし、異世界で集団自決しても肥後藩に名誉を示せません。
日本は辺境の海に囲まれた人口密度の高い狭い国であるせいか、恥の環境から逃避するという発想が乏しいと思います。
転校・転職・転居・離婚も余程のことが無い限りしませんので、他人が固定化してしまいます。 従って他人から受けた施しをどう返すかという「恩」や、他人からどう見られるかという「恥」に雁字搦めにされてしまいます。
辛ければ逃げれば良いと思います。昔に比べれば、転校・転職・転居・離婚も普通になってきました。逃げやすい環境は整いつつあります。他人をゼロクリアする方法は幾らでもあります。 苦しみのなかで思考停止することが一番の問題です。

タイトルとURLをコピーしました