アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で特務機関NERVのエヴァンゲリオン開発責任者である赤木リツ子博士が、主人公シンジに向かってこう言うシーンがありました。
「ヤマアラシの場合、相手に自分のぬくもりを伝えようと思っても、身を寄せれば寄せるほど身体中のトゲでお互いを傷つけてしまう。人間にも同じことが言えるわ。」
妙に気になって調べたところ、「ヤマアラシのジレンマ」という言葉に辿り着きました。
1.元々はドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話
「ヤマアラシのジレンマ」は厭世哲学で有名なドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話が元になっています。あらすじは以下の通りです。
寒い冬の日に、2匹のヤマアラシが暖を取ろうと互いの体を寄せ合おうとしたところ、身体のトゲが互いを刺してしまった。
しかしながら痛みから身体を離すと、今度は寒さに耐え切れなくなってしまった。
2匹は近づいたり、離れたりを繰り返しながら、ついには互いに傷付けずに済み、互いに暖め合うことができる距離を発見し、その距離を保ち続けた。
2.アメリカの精神分析医ベラックが「ヤマアラシのジレンマ」と命名
アメリカの精神分析医ベラックは、哲学者ショーペンハウアーの寓話に出てくるヤマアラシのエピソードから着想し、「互いに親密になりたいのに近付けない」という人間関係の葛藤に似ているとして「ヤマアラシのジレンマ」と名付けました。
「ヤマアラシのジレンマ」は、人間同士が互いに仲良くなろうと心の距離を近づけるほど、互いに傷付けあって一定距離以上は近付けないという葛藤をうまく表現しています。
人間同士が親密になるためには、近づくことが必要ですが、近づきすぎると互いの考え方の相違から反発が起きてしまうことがあります。誰しも経験があるのではないでしょうか。
3.人と人との適切な距離は千差万別
人間は社会的動物です。人間は社会の中で他人と繋がりながら生きています。生きる為に100%他人をシャットアウトすることは出来ません。
一方で、心理学者アドラーは、「あらゆる悩みの原因は人現関係にある」と言っています。これもまた真実ではないでしょうか。
億劫に感じることは、大抵人間関係に起因しているような気もします。
自分は友達だと思っていても、相手がそう思っているかどうかは分かりません。誰もがペルソナを演じていますし、不用心に本心を晒したりもしません。
また、自分を理解してもらおうと、本心を少し晒したら、ドン引きされることもあります。お互いに適切な距離を見つけるには、まず他人が自分とは違う人間であることを理解することが必要になります。
育った環境が違うので、思考回路も違います。自分の常識と相手の常識も違います。自分にとっては何でもないことでも、相手にとっては不快に感じてしまうこともあり得ます。
すべてを理解し合うことは不可能だと言えるでしょう。
「個人」対「個人」の関係は全てカスタムメイドですし、一律の距離感などありません。ヤマアラシのように時間をかけて手探りで距離感を探ることが必要でしょう。
昔小学校で習った童謡「一年生になったら」に、「友達100人できるかな」という歌詞がありました。
「知り合い100人できるかな」なら分かりますが、友達100人作るのは至難の業ですね。教育は社会に都合のよい人間をつくるシステムでもあり、一定程度洗脳でもあります。特に義務教育はそうです。
「友達は100人作るべきだ」という世間の物差しを刷り込む側面もあります。誰もが外向的な性格ではありませんし、絶交や失恋も一向に意に介さない鋼のメンタルを兼ね備えている訳ではありません。内向的な人間に対して友達作りを押し付けられても困惑すると思います。