ピダハン族と幸福

哲学

ピダハン族とは、アマゾンの熱帯雨林に居住する少数民族です。狩猟採集生活を送り、外部との目立った交流はなく、現存するどの言語とも類縁関係がない独自の言語「ピダハン語」を使用しています。
文化人類学者の間では「世界一幸せな民族」と言われているそうです。実際、ピダハン族には、抑鬱や慢性疲労、極度の不安、パニック発作など、先進国では日常的に見られる精神疾患が無いと云われています。
また、彼らの思考スタイルや言語には、他の語族にはないユニークな特徴があると云われています。

まとめ
1.「色」「左右」「数字」「時間」の概念が違う
2.今の瞬間に生き、直接経験しか信じない
3.思考のOSが根本的に違う

結論
幸福になるには、人間の思考のOSごと変える必要がある。

1.「色」「左右」「数字」「時間」の概念が違う

ピダハン語には、「色」「左右」「数字」「時間」の概念が無いか、乃至はあっても限定的だと云われます。
色については「土の色」、左右については「川の方」等の表現をするようです。また、物を数えることもしませんし、時間の概念がないので、過去や未来の概念がありません。従って神話や民話、そして部族の歴史等はありません。神もいません。
また、ピダハン語には、親族を表す語彙も、「親」「同胞」「息子」「娘」の四語しかありません。交感的言語使用と云われる「おはよう」「さようなら」「ごめんなさい」「ありがとう」等の表現もありません。
また、再帰性もありません。再帰性とは、例えば、「絵を描く人の絵を描く人の絵を描く」といった文章の入れ子構造のことです。ピダハン語にはこれがありません。

2.今の瞬間に生き、直接経験しか信じない

人間は、過去のことに思い悩み、未来に不安を感じることを発端として精神を病んでいくのが一般的だと思いますが、ピダハン族はそんなこととは無縁です。過去も未来も無いからです。
また、直接的な経験にしか興味がないので、神を信じることもありません。過去の誰かが神を見たとしても伝承されません。言語に再帰性がないので、「誰かが神を見たと聞いた」という文章が成立しません。兎に角、今の瞬間を生きているのであり、直接経験したことにしか興味を示しません。
ピダハン族や彼らの言語についての研究で知られるアメリカの言語学者ダニエル・エヴェレットは、元々キリスト教徒でピダハン族およびその周辺の部族への布教の任務を与えられ、伝道師兼言語学者としてブラジルに渡りピダハン族の調査を始めました。
然しながら彼は伝道に失敗します。エヴェレットがイエスについて語り出すと、ピダハン族はイエスの容貌等について訊いてきました。エヴェレットが、イエスはずっと昔に生きていた人で、自分は実際には見たことはないがイエスの言葉は知っていると答えると、ピダハン族は、エヴェレットがイエスを実際に見たわけではないのならば、興味は無いと反駁されたそうです。
ピダハン族の考えに影響を受けたエヴェレットは、キリスト教への信仰を徐々に失い、最終的に無神論者となってしまったそうです。

3.思考のOSが根本的に違う

先進国での生活はピダハン族よりもずっと楽です。アマゾンでのピダハン族の生活は様々な危険に晒されていますが、精神的には先進国の国民よりもずっと安定しているそうです。
物事をありのままに受け取る姿勢を貫いており、過去や未来や虚構にも捕らわれないからです。過去の失敗に捕らわれず、明日のことをくよくよと悩まず、天国や地獄といった虚構にも捕らわれず、ただ目の前の現実だけを楽しんでいる訳です。
クリストファー・ノーラン脚本・監督による「メメント」というアメリカ映画があります。妻を殺されそのショックから10分間しか記憶を保てない前向性健忘症を抱えることになった主人公が、妻を殺害した犯人を探す過程を描いた作品です。
主人公レナードは、過去に起きた出来事や大切な事柄を紙にメモして記憶を補っていますが、重要なことは刺青として彫り込み、忘れないようにしている為、彼の身体はメモの刺青だらけです。
前向性健忘症を患っても、執念を持って過去の記憶を未来へ残すことに拘り、復讐だけが人生の目的と化した姿は、ピダハン族の対極とも言えます。
過去や未来や虚構への拘りは、進化論的には人類の繁栄に有利に働いたのかも知れませんが、幸福こそが人生の目的だとするなら、ピダハン族が採用する思考のOSに学ぶべき点は多いような気がします。
仏教の最終目的である涅槃は、欲望や執着から完全に解放された状態のことですが、ピダハン族は思考の独自OSを採用することで涅槃に達しているのかも知れません。我々が採用するOSでは、多くのアプリケーションソフトが必要ですが、バグだらけで一向に涅槃に至る気配がありません。

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