フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは作家でもあり、彼の戯曲「閉鎖空間(NoExit)」のなかに「地獄とは他人のことだ」という有名な台詞があります。
地獄というとダンテの神曲に描かれている9圏の地獄や仏教の八大地獄のような、サディスティックなイメージがありますが、この戯曲に描かれている地獄は一風変わっています。
3人の登場人物が謎めいた部屋に通されるところから始まります。そこは死後の世界であり、3人の死者たちは、共にこの部屋で永久に閉じ込められるという罰を受けます。これが本作における地獄です。
1.人間は他人から逃れられない社会的存在
地獄に来たのは、ガルサン・イネス・エステルの3人です。この地獄には罪人を永久に罰するための拷問具等は無く、ただの平凡な部屋です。
ガルサン(男性):妻を欺き虐げていた人物であり、軍を脱走して銃殺された。
イネス(女性):レズビアンで男性を嫌悪し、人を操ることに長けたサディスト。従兄夫婦と同居しながら、従兄の妻を誘惑。従兄はそのために自殺し、従兄の妻は罪の意識から、イネスと二人で寝ている間にガスを部屋に充満させた為に窒息死した。
エステル(女性):不倫の末に産まれた子供を殺害したことで、子供の父親を自殺させていた。
地獄に来た当初、3人は地獄に落とされた理由をお互いに話そうとしませんでしたが、議論の末、それぞれ自分の罪を打ち明けました。それぞれの罪が明らかになった後も、3人はお互いを苛立たせ続けます。
嫌気のさしたガルサンは、地獄からの脱出を試みます。突然ドアが開きますが、彼は出ていくことが出来ません。
ガルサンは、自分が軍を脱走したのは卑怯ではなかったとイネスに認めさせない限り、救われることはないのだと言いますが、イネスはそれを拒否します。そして永久に彼を不幸にし続けると宣言します。ガルサンは「地獄とは他人のことだ」と悟ります。
人間は他人から逃れられない社会的存在ですが、その他人こそ地獄であるということです。
2.他人の視線が自己意識を歪めてしまう
本作の設定では、3人は死んで地獄にきたことになっていますが、この設定は現世そのものと言えます。現世では当然3人だけということはありませんが、社会という「閉鎖空間(NoExit)」のなかにいるという点は変わりません。
他人の視線が自己意識を変え、自己認識を歪める力を持ちますし、人間は他人から逃れられない社会的な存在であり、他人の視線や評価から自由になれない訳です。
3大心理学者のひとりであるアドラーは、全ての悩みの原因は対人関係にあるとしています。この地球上に、自分以外の人間が誰一人としていなくなったと仮定すると、それまで感じていた悩みの種が全て消え去っていくことが実感できるのではないでしょうか。
3.他人との完全な相互理解は不可能
他人との完全な相互理解は不可能です。アドラーは、「過去と他人は変えられない。しかし、今ここからはじまる未来と自分は変えられる」という言葉を残しています。
アドラー心理学では、自分の課題と相手の課題を分けて考えることが重要とされています。これを「課題の分離」と言います。自分が直面する問題と他人が直面する問題を区別し、他人をコントロールしようとする行為を避けることができます。馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬が水を飲むかどうかは馬自身によるということです。馬の課題をコントロールすることは出来ません。ガルサンが、自分が軍を脱走したのは卑怯ではなかったとイネスに認めさせることは、他人の課題に踏み込んでいます。
課題の分離をして、他人との距離感の調和点を自分で探るしかありません。
幸いなことに、現世は本作の地獄と違って広いうえに多くの人間がいます。反りの合わない3人では永久の地獄となりますが、現世では違う社会に逃げるという選択肢が残されています。
他人は全て地獄かもしれませんが、ダメージのより小さい違う地獄を選択することもできるかもしれません。