道徳は何故あるのか

哲学

道徳的な行動ってなんでしょうか?
思いつく範囲で具体例を挙げれば、以下のようなものになるでしょう。
・正直さ:偽りを言わず、真実を語ること。
・公正な取引:他人との取引で不正行為を行わず、公平に行動すること。
・責任感:自分の行動や決定の結果に対して責任を持つこと。
・尊重:他人の意見や立場を尊重し、他人に対する敬意を保つこと。
・慈悲心:他人が困難な状況にある時に援助すること。
・自己犠牲:自分の利益を損なうかもしれないが、他人のために行動すること。
ところで、人間以外の生物に道徳はあるのでしょうか。
私見ですが、ゾウリムシやアメーバには無さそうです。社会的昆虫であるミツバチ、アリ、シロアリはどうでしょうか。それぞれ秩序ある社会を形成していますが、道徳は無い気がします。群れをなす哺乳類であるゾウ、シマウマ、オオカミはどうでしょうか。愛情はあるかもしれませんが、道徳と言われると微妙な気がします。
人間には道徳があり、殺人などの不道徳な行動を罰する法律を制定しました。どうして人間には道徳があるのでしょうか。

まとめ
1.戦闘能力の低い人類は集団によるチームワークで生き延びた
2.集団内での裏切りを防止する仕組みとして評判を発明した
3.良い評判が得られる行動が道徳として一般化した
結論
・孤独でも生存できる現代では必要以上に評判をあげなくても良い

1.戦闘能力の低い人類は集団によるチームワークで生き延びた

サバンナに生息する獰猛な禽獣と比較すると、人間の腕力はすこぶる弱いです。
攻撃面では牙・角・鉤爪といった武器を持っていませんし、防御面でも傷つきやすい皮膚しか持ち合わせていません。チーター、ライオン、オオカミ、ダチョウ等と比較すると逃げ足も遅いといって差し支えないでしょう。
こうした人類がいかにして地球の覇者となり、霊長類と自称するに至ったのでしょうか。集団によるチームワークと道具の使用が大きな役割を果たしたことは疑いありません。

2.集団内での裏切りを防止する仕組みとして評判を発明した

狩猟採集時代の集団にとって、集団内での裏切りは致命的な被害を及ぼします。頻繁に裏切りが発生する集団は生き延びることはできません。
裏切りを被った側は、裏切り者に対して報復をします。怒りの感情を露わにすることによって、裏切りの態度を改めさせるようにします。
しかしながら、裏切り者が態度を改める保証はありません。
そこで、集団内での裏切りを防止する仕組みとして人類は評判を発明しました。裏切りを受けた側は、他の集団内のメンバーに窮状を訴え、裏切り者がいかに酷い人物かを怒りにまかせて伝達します。それが噂となって集団内に悪い評判が広まっていきます。裏切り者の評価は下がり、メンバーが協力して裏切り者を排除します。
人類が言語を発明して以降、その傾向に拍車がかかったことでしょう。言語によって評判はあっという間に周知されます。
狩猟採集時代に集団から排除されることは、死を意味します。現代と違って一人で生きることは出来ません。評判に無頓着で裏切りやすい個体は淘汰されていきます。

3.良い評判が得られる行動が道徳として一般化した

裏切り者に騙されない為にも、自分が集団から排除されない為にも評判に敏感でなければなりません。
自分の評判を上げる為には、周囲から道徳心があると思われる必要があります。現代と異なり、狩猟採集時代には評判を保つことは死活問題でした。
道徳的行為である、「正直さ」、「公正な取引」、「責任感」、「尊重」、「慈悲心」、「自己犠牲」といったものは、いずれも評判を上げる為に不可欠な要素です。
宗教・哲学・民族・地域によって、多少のバリエーションや濃淡はあるかもしれませんが、どこでも代表的な徳目は共通しています。
人間が社会的な動物であることは不変ですが、グローバル化やインターネットの普及に伴って、社会との距離感は変貌しつつあります。
コロナ禍を経て、フェイスツーフェイスのコミュニケーションは転機を迎えたともいえるでしょう。全ての徳目を守っていくのは疲れます。慈悲心や自己犠牲も度が過ぎると精神が潰れます。孤独でも十分に生きていける貨幣経済の浸透した現代では、必要以上に評判をあげなくても良いと思います。
いい人過ぎて自分が壊れてしまったら本末転倒です。

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