犯罪とルドヴィコ療法(時計じかけのオレンジ)

哲学

スタンリー・キューブリック監督の映画「時計じかけのオレンジ」に、「ルドヴィコ療法」という架空の科学的犯罪治療法が出てきます。
主人公のアレックスは、自由奔放に暴力行為や犯罪を楽しんでおり、無軌道な生活を送っていましたが、とある殺人事件を起こした際に仲間に裏切られ逮捕されてしまいます。
懲役14年の実刑判決を受け収監されましたが、「ルドヴィコ療法」の被験者となることと引き換えに刑期短縮の機会を得ます。獄中生活から逃れるため、アレックスは志願します。
この療法は、犯罪者に対して様々な悪行の映像を長期間・反復的・強制的に見せながら、同時に薬物による吐き気を与えるものです。暴行などで得られるエクスタシーを投薬によって強烈な不快感と結びつけることで、生理的拒絶反応を引き起こす療法です。結果的にアレックスは暴力行為が出来なくなり、まるで中身が機械でできている人間「時計じかけのオレンジ」の様になります。アレックスは刑期短縮の為、自ら洗脳を受け容れた訳です。

まとめ
1.犯罪への対処には未然防止と事後対処の2種類がある
2.犯罪の未然防止には教育・治療・発散がある
3.人間に自由意志が無い場合、犯罪も自由意志の結果ではなくなる

結論
人間に自由意志が無い場合、犯罪を根本から再考する必要がある。

1.犯罪への対処には未然防止と事後対処の2種類がある

円滑な社会生活を営むには、犯罪は防止しないといけません。犯罪への対処には大きく分けて二つのアプローチがあります。
一つは「ルドヴィコ療法」の様に犯罪を出来なくしてしまう未然防止のアプローチです。映画「マイノリティリポート」やアニメ「サイコパス」の様に、未来の犯罪者や潜在犯を事件発生前に逮捕してしまう方法も含まれるでしょう。広い意味では監視カメラの設置も犯罪を抑止する効果を狙っていることから同様といえます。
もう一つは刑罰です。犯罪者を逮捕し重いペナルティを科すことで、犯罪は割に合わないことを悟らせるとともに、ペナルティへの恐怖によって犯罪を防止するアプローチです。
両方のアプローチが繋がっている場合もあります。「チューリング・テスト」やドイツの暗号機エニグマの解読で有名な天才数学者アラン・チューリングは同性愛者でしたが、当時の英国では同性愛が犯罪とされており、それを理由に逮捕され、化学的去勢を受けることを強制されました。その後、彼は自殺を遂げました。まさに悲劇です。英国政府は後に謝罪しましたが、彼は刑罰を受け、更に未然防止する為の療法迄受けさせられました。

2.犯罪の未然防止には教育・治療・発散がある

犯罪の未然防止を広く捉えれば、様々な方法があります。
一つは教育です。犯罪の無い円滑な社会生活の為には、同じ道徳を共有している必要があります。コミュニティでの道徳教育によって社会的ルールを身につけていきます。
教育が度を過ぎると洗脳になります。洗脳は同調圧力を生み、空気を生み、組織的な思考停止をもたらす場合があります。
高校野球では坊主頭が一般的ですが、坊主頭の歴史は、明治4年の散髪脱刀令にまで遡ります。それまで日本では髪は結うものでしたが、明治維新以降は軍隊が強力な権力を持つようになり、国民にも軍人に見られるような坊主頭が定着しました。高校野球で坊主が伝統化されたのは、実は戦争と深い関係があります。第1回全国高等学校選手権大会は、第一次世界大戦の真っ最中でした。それ以来、伝統且つ暗黙の了解として続いています。
二つ目は「ルトヴィコ療法」のような治療です。三つ目はストレスの発散です。ストレスをため過ぎると病気になるか暴発します。暴発が外部に向かった場合には他者の権利を侵害し、犯罪となる可能性が高くなります。仮想世界が出来る以前は、現実世界でしかストレスを発散できませんでした。近未来の仮想世界が発散の場を提供出来る可能性があります。

3.人間に自由意志が無い場合、犯罪も自由意志の結果ではなくなる

人間に自由意志は本当にあるのかという問題は重たい意味を持ちます。法律は自由意志があることを前提に作られています。罪が罰せられるのは、それが自由意志の結果だからです。自由意志に関しては、米国の生理学者ベンジャミン・リベットの有名な実験があります。この実験で意識的な意志決定の前に、無意識的な脳の活動が既に始まっているということが明らかになり、現在では自由意志は無いという説が有力になっています。
人間に自由意志が無い場合、犯罪も自由意志の結果ではないことになります。
人間に自由意志が無いことは、哲学者のスピノザや、「トム・ソーヤーの冒険」の作者マーク・トウェインも述べています。彼は晩年の作品「人間とは何か」のなかで、「人間とは自分の精神的な欲望を満たす機械」と主張しています。人間の全ての行動は、環境や遺伝によって決定されており、ビッグバン以降の無数の因果の連続のなかにあります。
人間に自由意志が無い場合、法体系含め犯罪を根本から再考する必要があります。

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