飛蝗と人類

歴史

イギリスの古典派経済学者マルサスは、産業革命期の人口増加に直面してその動向を分析し、1798年に『人口論』を著しました。そのなかで有名な「人口は幾何級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しない」という命題を打ち出しました。
食糧供給が限られている中で、人口が無制限に増加すると、最終的には食糧不足による飢餓や病気、戦争などによって人口が自然に調整されるという「マルサスの罠」を提唱しました。
ところが、1950年に25億人だった世界人口は、2000年には61億人と、50年で2.4倍に増加、2050年までに国連の推計では93億人に達するものと予想されています。たった100年で3.7倍です。「マルサスの罠」はどうなったのでしょうか。

まとめ
1.マルサスの人口論
2.ハーバー・ボッシュ法
3.飛蝗とプラネタリーバウンダリー

結論
飛蝗と人類の違いはプラネタリーバウンダリーを理解できること。

1.マルサスの人口論

『人口論』の発表当時、マルサスが設定した基本的な前提は以下の二つです。
第一に生活資源(食糧)が人類の生存に必要である。
第二に異性間の情欲は必ず存在する。
この二つの前提から、マルサスは、生活資源を生産する土地の能力よりも人口増加が不均等に大きいと主張し、生活資源は算術級数的にしか増加しない一方、人口は制限がなければ幾何級数的に増加するので、生活資源は必ず不足すると結論付けました。
マルサスの時代には、食糧生産は主に農地の増加や農業技術の改善に依存していましたが、これらは人口増加の速度に比べて遅く、当然の帰結として食糧不足に陥ると考えた訳です。

2.ハーバー・ボッシュ法

ところが実際には、世界人口は急激に増加しました。ということはマルサスが想定していなかったことが起きたことになります。それこそハーバー・ボッシュ法の発明です。
ハーバー・ボッシュ法は、ドイツのフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュによって開発された空気中の窒素からアンモニアを合成する技術です。これにより窒素肥料の大量生産が可能になりました。マルサスが『人口論』を著した時点では、肥料といえば伝統的な有機質肥料であり生産量には限界がありました。窒素肥料の誕生により、人口と食糧の両方を幾何級数的に増加させることが可能となった訳です。
2008年の世界人口は67億人でしたが、窒素肥料が無ければ32億人に留まっただろうとの推計もあります。ハーバー・ボッシュ法が無ければ恐らく私も存在していません。人類へのインパクトは甚大ですし、世界史の授業でもっと確り教えるべき事件だと思います。
但し、当然ながら良いことばかりではありません。ハーバー・ボッシュ法は高温・高圧の条件下で行われるため、大量のエネルギーを消費します。このエネルギーは主に化石燃料から得られる為、地球温暖化の一因となっています。窒素肥料の過剰使用による生態系への影響も指摘されています。
新たな地質時代として、人類が地球環境を激変させた時代を「人新世」と呼称することが議論されていますが、ハーバー・ボッシュ法に起因する急激な人口増がなければ、こんな議論も無かったに違いありません。

3.飛蝗とプラネタリーバウンダリー

蝗害(こうがい)は、バッタ類の大量発生による災害のことです。蝗害を起こすバッタを飛蝗と言います。『旧約聖書』の出エジプト記に「十の災い」の一つとして蝗害が出てくる等、古より人類を苦しめてきました。飛蝗は、水稲や畑作作物などに限らず、全ての草本類を短時間のうちに食べ尽くします。普通のバッタが、食料資源が一時的に豊富になった環境で増加し過密になると、飛蝗に変異することが知られています。孤独相から群生相に体が変化し、大群を形成して迅速に繁殖します。増殖するチャンスが整うと自動的にそれに最適化した姿に変身するようにプログラムされている訳です。何となくハーバー・ボッシュ法を獲得したことでバージョンアップした人類を彷彿とさせます。
近年、「プラネタリーバウンダリー」(地球の限界)というワードをよく聞くようになりました。地球システムが安定した状態を維持する為に人間活動が守るべき限界のことです。
飛蝗も人類も、生存と繁殖の為に進化した点は同じです。唯一違うのは、「プラネタリーバウンダリー」まで考慮したうえで、生存と繁殖を考えることができるかどうかです。考えることは出来てもコンセンサスの形成に失敗し、行動できない可能性もあります。

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