ジャネの法則をご存知でしょうか。
19世紀のフランスの哲学者ポール・ジャネが発案した法則で、簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例すると主張したものです。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の子供にとっては5分の1に相当します。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に相当します。
この法則は、年齢が上がるにつれて1年の重みが軽くなり、主観的に感じる年月の長さが短くなるという現象を示しています。
いろいろと批判もあるようですが、心理的な実感としては何となく分かるような気がします。
1.人生の折返し地点は10歳である
ジャネの法則によると、時間の過ぎる速さは、年齢に比例して加速します。
例えば、1歳のときの1年間を基準とすると、2歳のときの1年間は、2倍早く感じます。
5歳になると5倍早く感じ、10歳になると10倍です。1歳のときを基準にすると、1歳での1年間は、2歳での0.5年、3歳での0.33・・年、4歳での0.25年、5歳での0.2年となります。
仮に人生が80年だとすると、1歳のときの基準で計算すれば、80年もありません。積分を使って計算すると、10歳で全体の50%を超過してしまいます。
ジャネの法則に従って、心理的時間ペースで計算すると、人生の折返し地点は10歳ということになります。
2.死は思いのほか早く到来する
「光陰矢の如し」と言いますが、心理的な時間はリニアに経過する訳ではありません。思い返せば、小学生時代は時間の経過が非常にゆっくりでした。特に夏休みの頃は、寝坊した後にだらだらと何時間もテレビを見て、プールに行って帰って、更にさんざん友達と遊んでもまだ一日が終わらない状態でした。
特に就職してからの心理的な時間の経過には、凄まじいものがあります。早朝に起床してバタバタと仕事して帰ったら夕飯を食べて寝るだけです。そしてあっという間に目覚まし時計が鳴り響く状態です。
死は思いのほか早く到来します。寿命の前に健康寿命が到来しますので、本当に時間はありません。時に立ち止まって死までの時間を自覚する必要がありそうです。
3.自己の死を絶対的な可能性として認識する
ドイツの大哲学者ハイデガーは、人間の存在は「死への存在」だと述べました。全体的で究極的な将来である死を覚悟し生きることが、本来的在り方であり、本来的自己であるとしています。死を先駆的に意識した上で自分を将来へ向けてプロジェクト(投企)し、自分の決断によって意味付け積極的に現成化させることが重要であるとしています。死は存在の終わりであり、自己の存在が終わることで、初めて存在の全体が理解可能となるとされています。
余命宣告を受けた患者が、自分の死を自覚し生まれ変わったように、残された一日一日を大切に生きるということがあります。
普段、自分も含めて大部分の人間は死に対して無自覚に生活を送っています。そうやって全体的な将来である死を意識せず、目先の将来に目を奪われ、それを目的として生きています。
しかしながら、余命宣告を受けた患者だけでなく、死は誰にとっても絶対的な可能性として存在します。しかも何の前触れもなく、突然やってくることもあります。
ジェネの法則を根拠なしとして一笑に付すことは簡単ですが、死までの残された時間、それも絶対的な時間ではなく、より短い心理的な時間を自覚して生きるのか、無自覚に生きるのかは大きな違いです。
スティーブ・ジョブズは、「これが人生最後の日と思って生きる」という死生観をもっていたことは有名な話です。ジャネの法則を知っていたかどうかは定かではありませんが、彼もまた「死への存在」であったのでしょう。
その科学的根拠はともかく、自分への戒めとして活用することはありだと思います。