人間は社会的動物だと言われますが、社会を形成する動物は人間だけではありません。
アリや蜂といった社会的昆虫も存在します。人間の社会のなかにいると、しばしば疲れを感じます。悩みの殆どは人間関係に起因しています。
公園でアリの行列を眺めていたときに、ふと「彼らの社会も疲れるのだろうか?」と考えてしまいました。
1.昆虫社会では、女王・働きアリ等の役割が遺伝的に決定している
巣の中で生まれた女王アリとオスアリは繁殖期になると、一斉に巣から飛び立ちます。この行動を「結婚飛行」と言います。巣から飛び立った女王アリは別の巣のオスと交尾をします。女王がオスと交尾をするのは一生でこの時期だけです。
メスは精子を体内に蓄えることができる為、産卵し続けることができます。
アリの場合、受精卵が雌になり、無精卵が雄になります。雄と交尾をしていないアリが産んだ卵は雄となります。
女王アリ、働きアリ、兵隊アリは全てメスです。雄アリは交尾の為だけに生まれ、交尾後はすぐに死にます。
アリの社会は非常に高度な組織性を持ち、各個体が特定の役割を果たします。生殖能力があるのは女王アリだけです。働きアリは巣の維持、食料調達、子育てを行います。兵隊アリは巣の防衛や捕食者に対する攻撃を担当します。
役割が明確になっており、特定の役割しか果たせないので、集団から離れて生存することはできません。
2.人間社会では、遺伝的な役割は決定していない
一方で人間の社会はどうでしょうか?
人間は、個体毎の生物学的な役割が遺伝的に決定されてはいません。どの個体にも基本的に繁殖能力があります。集団は形成しますが、集団から独立して生活することも可能です。
どの個体にも繁殖能力があるということは、個体間に競争関係があるということです。生物の本能は「生存」と「繁殖」ですので、遺伝子の命ずるままに利己的な競争し続けます。こうした特徴が様々な感情を進化させ、ストレスを生むことになったのでしょう。
3.遺伝的役割が未決定ないので競争があり承認欲求や嫉妬が発生
アリの社会は、一時期を除き基本的にメスだけですので、コロニー内で「繁殖」を巡る競争はそもそも起こりません。オスは交尾したら死ぬだけですし、女王アリは複数のオスと交尾が可能で、精子を蓄えることが可能なため、恋の駆け引きなどありません。
人間に特有の承認欲求、支配欲求、権力欲求、自己実現欲求といった類の欲求も、社会のなかで認められ、力を誇示するものですが、究極的には人間社会というコロニーのなかで生存・繁殖の確率を極大化する無意識下の盲目的意志に起因しています。進化論的にいってしまえば、聖人君子などいません。聖人君子だと思われたい承認欲求があるだけです。
そういう意味では、誰しも利己的な遺伝子の奴隷といえます。どの程度で社会との折り合いをつけるかで、個体差が生じているだけです。
承認欲求が強すぎることと、世間の物差しを鵜呑みにすること。この二つが合わさると嫉妬等の負の感情が生まれます。
確かめるのは困難ですが、恐らくアリに嫉妬という感情はないでしょう。
「アリとキリギリス」という有名な寓話がありますが、アリはキリギリスのことを「ずるい奴」と思ったりはしません。
アリは高度に社会的な生物ではありますが、感情を進化させる必要がなかったからです。
人間は遺伝的に役割が未確定であり、人間社会では必然的に競争が発生してしまいますが、無駄な競争をする必要はありませんし、怒りや嫉妬に対しても、ちょっとメタ認知能力を高めて対処し、余計なエネルギーを使わない方がいいですね。