Z世代と余命投票

歴史

新聞を読んでいると「Z世代」というワードをよく見かけます。定義は必ずしも明確ではないようですが、1960年代から1980年代初頭に生まれたX世代、1980年代から2000年代初頭に生まれたミレニアル世代(Y世代)に次いで、2000年代初頭以降に生まれたのがZ世代と一般的には言われています。
大まかな区分だとは思いますが、X世代は冷戦の終結や経済のグローバル化を経験した世代、ミレニアル世代(Y世代)はインターネットとモバイル技術の普及期に育った世代、Z世代はデジタルネイティブであり、生まれたときから高度なテクノロジーに囲まれている世代とされています。

まとめ
1.Z世代の特徴
2.ニュートラルな視座と持続可能性重視
3.余命投票という選択肢

結論
世界を救うのはZ世代かもしれない。

1.Z世代の特徴

Z世代は今や世界人口の約3分の1を占めていると言われていますが、どんな特徴があるのでしょうか。
一般的には、生まれたときから高度なテクノロジーに囲まれていたデジタルネイティブであり、環境問題や社会問題に敏感で、持続可能性を重視する傾向が強いとされています。また、オンラインとオフラインの境界が曖昧で、SNS等によるリアルタイムでの情報共有に慣れており、個性を大切にしながら自己表現やクリエイティビティを重視する傾向があるとされています。国によっても違いはあると思いますが、中国の「寝そべり族」或いは「躺平(タンピン)」と呼ばれる人々もZ世代です。競争社会や行き過ぎた消費社会に抵抗するライフスタイルを志向し、「不買房(家を買わない)」「不買車(車を買わない)」「不談恋愛(恋愛しない)」「不結婚(結婚しない)」「不生娃(子供を作らない)」「低水平消費(低水準の消費)」と言った低意欲、低欲望の生活を送っている人々です。
欧米のZ世代には、経済格差や気候変動、ジェンダー問題、ポリティカル・コレクトネス、ブラック・ライヴズ・マター、ヴィーガンなどの活動を行う人々が目立つようです。
Z世代には、無限に自己増殖しようとする資本主義市場経済とそれを支えてきた既存の倫理観に対する漠然とした疑念があるような気がします。
親世代であるX世代が押し付けてくる概念に持続可能性はあるのか、それが本当に各自の幸福に繋がるのかについて疑問をもっているのかもしれません。デジタルネイティブであり世界で起こっていることが瞬時に共有される為、親世代の主張と現実との乖離を敏感に感じ取っているのかもしれません。

2.ニュートラルな視座と持続可能性重視

私のようなX時代は東西冷戦時代に育っており、当時の世界は資本主義と社会主義の2色に塗り分けられていました。大学でも近代経済学が持て囃され、マルクス経済学が敬遠されるような雰囲気は確かにありました。資本主義を擁護し礼賛する授業が殆どでした。また、社会人になった後も所属した組織に染まることに何の疑問も感じませんでした。アクセスできる情報が紙媒体とテレビだけで、極めて限定的であったことも一因だと思います。
Z世代は、旧ソ連の体制を知らないので社会主義に負のイメージも無いですし、幼少期からリーマンショックやコロナ禍による不況を経験しており、格差社会のリアルも感じています。X世代よりもニュートラルな視座を持っているのかも知れません。
環境活動家グレタ・トゥーンベリはZ世代ですし、彼女が中心となったムーブメントはZ世代だからこそ起こせたのかもしれません。

3.余命投票という選択肢

シルバー民主主義とは、少子高齢化社会では高齢者の選挙権が多いために、高齢者の利益に偏った政策が採用されやすい状況を指しますが、それもあってか、特に日本のZ世代には「どうせ世の中は変わらない」という諦観があるような気がします。欧米のZ世代のように活動を起こすこともなく、中国のZ世代の「寝そべり族」のようなサイレントデモを起こすこともなく、ただ静かに失望し諦観している感じです。
余命投票とは、個々の有権者の投票権をその人の余命に応じて調整するという選挙制度の案です。例えば寿命を100歳とした場合、30歳であれば余命が70年、50歳であれば余命が50年、70歳であれば30年ですので、この余命に応じて票にウェイト付け(70:50:30)する考え方です。
一見すると、これは高齢者を切り捨て、若者を優遇する考え方のようですが、有権者の生涯で見ると全員のウェイトが徐々に逓減する為公平な制度と言えます。難点は、現状の投票制度から余命投票制度への移行期には不公平が生じてしまうことです。
ニュートラルな視座を持っているZ世代が、諦観から抜け出してプロアクティブに自分達の未来を考える為には、この位のことは必要かもしれません。
立場が固定してしまい雁字搦めのX世代からブレークスルーを起こすのは難しいかもしれません。

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