自由意志という幻想

哲学

普段、人間は自分の自由意志に基づいて行動していると思っていますが、本当に自由意志はあるのでしょうか?
ゾウリムシやアメーバ等の単細胞生物はどうでしょうか。壁にぶつかると方向を変える掃除ロボットのように、外部からの刺激に特定の反応をしているだけで、自由意志は無いのではないでしょうか。
もし単細胞生物に自由意志が無いとすると、どうして多細胞生物には自由意志があると言えるのでしょうか。無数の因果関係に伴う数多の脳細胞の複雑な並行処理を自由意志と事後的に思っているだけなのではないでしょうか。

まとめ
1.最新の研究では、自由意志は無いという説が有力
2.自我があると錯覚することで自由意志があると錯覚する
3.人間社会は自由意志があることを前提にしてしまっている
結論
・自由意志は無いが、思考することには意味がある。

1.最新の研究では、自由意志は無いという説が有力

自由意志に関しては、米国の生理学者ベンジャミン・リベットの有名な実験があります。その実験によって、被験者がある動作をしようとする「意識的な意志決定」以前に、「準備電位」と呼ばれる無意識的な電気信号の反応があることが発見されました。
つまり意識的な意志決定の前に、無意識的な脳の活動が既に始まっているということになります。この結果は自由意志の存在について多くの議論を巻き起こしました。現在では自由意志は無いという説が有力です。
私たちが経験する「自由意志」は、脳の複雑な機能の結果であり、本質的には物理的な原因と結果の連鎖の一部であるとされます。
人間の身体も原子の集合体である以上は、物理法則に従っている筈であり、脳細胞も例外ではありません。例えば夕飯のメニューにラーメンを選択した場合、自分では自由意志で決めたと思っていますが、実際には脳を含むあらゆる臓器等、体内環境の無数且つ複雑な因果関係の結果であり、自由意志を意識する前に無意識が決定しています。

2.自我があると錯覚することで自由意志があると錯覚する

それでは、なぜ人間は、自由意志があると錯覚してしまうのでしょうか?
自由意志がある為には、自由意志の主体である自我があることが前提になりますが、自我もありません。脳を素粒子レベル迄分解しても、自我は見つかりません。ブッダも諸法無我といっています。
人間が頑なに自我の存在を信じる理由については、進化論にヒントがあります。
生物の歴史を見ると、カンブリア紀にカンブリア爆発と呼ばれる生物多様性の急拡大が起こったとされています。光受容細胞からレンズ眼への進化が起こり、生物が確りした視覚を得たことで、捕食者と被捕食者の進化競争が激化しました。
その結果、敵か味方の判別の為に記憶の発達が促されました。毎度同じ敵に襲われない為には、エピソード記憶が必要になります。
「アノマロカリスに襲われた」というエピソード記憶によって、次回から視覚で捉えた瞬間に回避行動が取れるようになります。
エピソード記憶を持つためには、自他の区別が必要であり、自我という概念を発達させる必要があります。
捕食者という外敵だけでなく、種の存続の為に高度な社会性を獲得した人間は、増え続ける他者との関係を情報処理して整理する必要性から、より強固な自我を発達させてきました。
社会が重層化・多様化・複雑化すれば、それだけ桁違いのエピソード記憶が必要となり、自我を軸として他者毎に記憶を整理する必要が出てきます。同一の他者に対しても、どんな場合に機嫌がいいのか、どんな場合に悲しむのか、シーン毎に記憶する必要があります。
物質的な因果関係に加えて、膨大な記憶も未来の行動に影響を与えます。記憶すること自体も化学反応です。人間はラプラスの悪魔ではないので、全ての因果関係は理解できません。従って、因果関係のほんの一部に過ぎない記憶に基づいて自由意志による判断を行ったと整理してしまい、そのことがまたエピソード記憶として保存されます。エピソード記憶の集合体は無意識に沈殿し、今後の行動に影響を及ぼすのではないでしょうか。

3.人間社会は自由意志があることを前提にしてしまっている

人間に自由意志はありませんが、人間社会は自由意志を前提に構築されています。例えば窃盗罪を犯すと、刑法で罰せられます。自由意志が犯罪を引き起こすと考えられているからです。
勿論、被害者がいる以上、犯罪は許されないことですが、実際には一つの犯罪には無数の因果関係が関係している筈です。何世代にも亘る貧困の連鎖、遺伝や病気、社会情勢や家庭環境等。全てを説明できるのはラプラスの悪魔だけです。従って今のところ犯罪の原因を自由意志に帰結させるしか方法がありません。
自由意志が無いとすると、社会のOS(オペレーティングシステム)を根底から変えることになります。極めて難しい問題ですし、社会はそこまで進化を遂げていません。
たとえ自由意志がないとしても、思考することには意味があります。何かしら事件が発生した際に、それに対して深く思考した内容がエピソード記憶として無意識下に沈殿し、未来の行動のアルゴリズムに影響を与えるからです。

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