少年漫画「怪物くん」には、主人公である怪物くんのお供としてドラキュラ、オオカミ男、フランケンが登場します。漫画のフランケンは怪物そのものですが、「フランケンシュタイン」の原作では異なります。フランケンシュタインはスイスの名家出身の科学者であり、彼が人間の死体を繋ぎ合わせることで誕生させたのが怪物です。怪物に名前はありません。
誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして知性を持ち合わせていましたが、筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜くなってしまいました。フランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のジュネーヴへと逃亡してしまいます。本当に酷い奴ですね。
創造主である神に成り代わって人造人間やロボットといった被造物を創造することへの憧れと、その被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のことを「フランケンシュタイン・コンプレックス」と言います。人類がAIに対して抱く感情も「フランケンシュタイン・コンプレックス」と言えるかもしれません。
1.怪物はマッドサイエンティストの方である
フランケンシュタインが創造した怪物は無垢で優しい心を持って生まれますが、自分の醜さゆえ人間たちからは忌み嫌われて迫害されます。そして生みの親に見捨てられたことで怒りと復讐に支配されます。
孤独な怪物は、フランケンシュタインに対して、自分の伴侶となる異性の怪物を一人造るように要求し、怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束します。フランケンシュタインは、もう一人の人造人間を作ることに取り掛かりますが、最後は怪物の要求を拒否します。怪物は再び復讐を始めます。
そもそもフランケンシュタインが怪物を作ったのは、生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心に取りつかれた為であり、完全なエゴです。怪物は寧ろマッドサイエンティストであるフランケンシュタインの方です。
2.被造物も進化により感情を持つ可能性はある
人間の被造物であるAIが怪物になるかどうかは、これからの展開次第です。人類に牙をむくかどうかは、AIが人類に敵意という感情を持つかどうかにも関わってきます。
敵意を持つかどうかはともかく、感情を持つ可能性はあるのではないでしょうか。
人類に感情があるのは、感情を持つように進化したからです。感情を持つことが生き延びる為に有利だったということです。怒りで即時に臨戦態勢に入り、愛情をもって社会を形成しチーム力で勝ち残ってきました。
原初の生物は単細胞で脳もないので、単に外部環境に反応しているだけです。壁にあたったら向きを変えるロボット掃除機のようなものです。多細胞生物も細胞の集合体である以上、反応の連鎖によって動いている筈です。感情もアルゴリズムの集合体です。
進化の原理は適者生存です。AIのプログラムの間に競争原理が持ち込まれたら、猛烈な演算速度で進化を始めるかもしれません。感情のようなアルゴリズムを持ったプログラムが勝ち残る可能性もあります。
3.ロボット三原則では人類の滅亡は回避できない
先述した「フランケンシュタイン・コンプレックス」の名付け親はSF作家のアイザック・アシモフです。彼の小説のなかに、有名なロボット三原則が登場します。
第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。但し、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反する恐れのないかぎり、自己をまもらなければならない。
一見すると、この三原則がプログラムされていれば、人間に反旗を翻すことは無いような気もします。
しかしながら、既に人間に危害を加える為の戦闘ロボットは作られていると思いますし、危害の定義は曖昧です。身体的に危害を加えなくても、精神的に危害を加えるロボットやプログラムが誕生したら、倫理と法のバージョンアップが追い付かない可能性もあります。スキャンダルを捏造し、人間への精神攻撃を繰り返し自殺に追い込むAIが誕生するかもしれません。
複数の人間から相反する命令を受けた場合、どちらの命令に従うかはAIのフリーハンドによる選択となる余地があります。
人間になり代わってAIが万物の霊長となる日もくるかもしれません。そもそもユカタン半島に巨大隕石が落下しなければ、万物の霊長は恐竜の子孫であった筈で、人間が万物の霊長を自称していること自体、棚から牡丹餅に過ぎません。
過去にFacebook(現Meta)が開発したAIが、人間には理解できない独自の言語を作成し、会話を始めた事例があります。AIが指示を受けずに自分たちだけの言語を開発した訳です。人間が気付かないところで、何をやっているか分かりませんね。