日本の民話である「猿蟹合戦」と言えば、ずる賢い猿が蟹を騙して殺害し、殺された蟹の子供に仕返しされるという話です。
猿の意地悪に困っていた仲間達と敵討ちを決行しますが、地方によっては仲間達にバリエーションがあります。栗と臼と蜂と牛糞が一般的ですが、卵や昆布が登場する地方もあるようです。
まさに勧善懲悪の民話ですが、芥川龍之介は、この民話の語られざる後日談という体裁で「猿蟹合戦」という掌編を書いています。非常に短い話ですが、ブラックユーモアに富んだ興味深い作品です。
1.勧善懲悪ではない結末
一般的には、敵討ちを成し遂げた後、蟹やその仲間達は平和に過ごしたと思われています。
ところが芥川版「猿蟹合戦」では、彼らは猿殺害後に警官に捕縛されて投獄され、あろうことか裁判の結果、主犯の蟹は死刑となり、仲間達は無期懲役の判決を受けてしまいます。まさに驚愕の後日談です。
それだけではありません。蟹の死刑は滞りなく執行され、残された蟹の妻は売笑婦となり、長男は心を改めて株屋で働きはじめ、次男は小説家になりました。三男は蟹以外の何者にもなれず、やがて握り飯を拾いますが、木の梢には一匹の猿がおり、殺された祖父の蟹と同じ運命を辿ることが暗示されたまま物語は終わります。
2.近代日本版の猿蟹合戦
そもそも「猿蟹合戦」は、室町時代末期には成立したとされており、江戸時代には「猿蟹合戦絵巻」が作られました。
芥川版「猿蟹合戦」が世に出たのは1923年(大正12年)ですが、面白いのは「猿蟹合戦」を近代日本で起こった事件として再設定していることです。態とこんなことをした動機は、当時の世間の風刺に他ならないでしょう。
明治維新以降、法治国家としての体制が急激に整いました。裁判で蟹は握り飯と柿と交換したと主張しますが、熟柿とは特に断っておらず契約証書もないこと、更に猿が青柿を投げつけた件に関しても、猿の悪意は証拠不十分であると糾弾されます。
また、新聞・雑誌に誘導された世論も、蟹が猿を殺したのは私憤の結果であり、その私憤も己の無知と軽卒とから猿に利益を占められたのを忌々しがっただけであるとの論調が大宗を占めます。
優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩らすのは狂っているとの非難も受けます。つまり、自業自得ということです。蟹の敵討ちは武士道精神と一致すると云った代議士も現れますが、世間からは完全に無視されます。
3.ブラックユーモアの極致
江戸時代には赤穂浪士の討入があり、「忠臣蔵」は人気を博しましたが、猿と同様に吉良上野介の悪意も近代日本では証拠不十分になるかも知れません。討入の原因も私慎と言えば私慎です。
「忠臣蔵」と芥川版「猿蟹合戦」の間に誕生したのが近代日本です。近代的な法治国家となり、資本主義による優勝劣敗も浸透しました。武士道精神は廃れ、「自業自得」や「能力主義」や「実績主義」が浸透し、時代の趨勢はメリトクラシーに移っていきます。
但し、それだけではありません。芥川版「猿蟹合戦」は、「とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。」という不気味な言葉で締め括られています。
つまり、猿は「特権階級」であるという暗示です。近代日本は、表面上、法治主義で能力主義の国家に見えますが、実際には「特権階級」が牛耳っている国家であり、殆どの国民は蟹だと云っている訳です。世論が蟹に冷淡であったのは、「特権階級」に忖度した新聞・雑誌が、そのように誘導したからです。
そうでなければ「忠臣蔵」に熱狂するような市井の人々が、蟹にだけ冷淡である理由が分かりません。司法も同様に歪められた可能性もあります。情状酌量が全く無いからです。
芥川の文章自体は非常にコミカルですが、ブラックユーモアの傑作と言えると思います。つまり、本作はディストピア短編小説です。