江戸時代のシェアリングエコノミー(損料屋)

歴史

シェアリングエコノミーというと、自動車共有サービス(Zipcar)やライドシェア(Uber)、宿泊施設の共有サービス(Airbnb)、共有オフィススペース(WeWork)などがあります。欧米発のサービスのようにも思ってしまいますが、日本でも江戸時代にはシェアリングエコノミーが浸透していました。

まとめ
1.江戸時代はシェアリングエコノミーが浸透していた
2.物質主義は産業革命と消費社会の浸透のせい
3.江戸時代には経済成長の目標もなかった

結論
現実に所有する必要があるのかよく考える。

1.江戸時代はシェアリングエコノミーが浸透していた

江戸時代には損料屋という業者がありました。損料屋は、現代のレンタル業者同様に、さまざまな物品を提供し、それらを必要とする人々にレンタルしていました。
江戸の一般庶民は長屋に住んでおり、生活空間が狭かった為、あまり物を持つことができなかったことや、一部の商品が高価で一般に手が出なかったりした為かもしれません。驚くべきことに、褌(ふんどし)は当時高価な商品であり、そのため損料屋でレンタルされることがあったそうです。また、布団や鍋などの日用品も貸し出されていたようです。損料屋は多くの人々にとって必要なサービスを提供し、生活を支える重要な役割を果たしていました。

2.物質主義は産業革命と消費社会の浸透のせい

江戸時代には、シェアリングエコノミーが浸透していたにも拘わらず、いつから所有が中心の世の中になったのでしょうか。
恐らくは、産業革命により大量生産が可能になったことが影響しているのでしょう。大量生產によって物品の価格が低下し、庶民にも買えるようになったことが大きいと思います。明治維新以降、鎖国が解かれ国際貿易が復活したことも大きいかもしれません。
これにより、社会的な地位や成功は個人が所有する物質的な財産によって測られるようになり、物を所有すること自体が目指すべき目標となりました。
昭和の高度成長期には、所謂「三種の神器」(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の所有が普及し、マイホームの購入が庶民の夢になりました。
大量生産、大量消費が常態化し、ブランド物等の使用価値から遊離した記号消費もどんどん増えていったことでしょう。
明治時代から複式簿記が導入され、収益や資産の「見える化」が進展したことも大きいかもしれません。資本主義経済には不可欠なツールです。

3.江戸時代には経済成長の目標もなかった

江戸時代には鎖国していましたし、諸外国と国力をグローバルに競い合うこともありませんでした。幕府にも国全体の経済成長に関する目標設定はありませんでした。
GDP(国内総生産)の統計は、戦後の経済復興を管理するための指標として、連合国によって導入されたそうです。
政府が経済成長を目標にしたのは、割と最近のことです。資本主義市場経済において、企業は収益の極大化、国はGDPの極大化に邁進しています。
過剰な消費は、地球のリソースを消耗し、気候変動などでキャパの上限に達しようとしています。本来は、国民の幸福の為の経済成長である筈ですが、経済成長自体が手段から目的になっているような気もします。
東京都心では、再開発により未だ使用可能なビルが次々と建て替えられています。ニューヨークの高層ビルの多くは20世紀初頭から中頃に建設され、その中にはエンパイアステートビルディング(1931年)やロックフェラーセンター(1930年代)等、築100年近いビルも多く存在します。日米の築年数の差は、建築技術ではなく思想の差がもたらしたものです。過剰な投資と消費をベースとした経済成長は、本当に人間の幸福に繋がっているのでしょうか。
日本でも2010年頃より「断捨離」「ノマドワーカー」など不要な物を捨て、場所に捕らわれない生き方といった概念の言葉が流行し始めました。シンプルな暮らしを求める人々が増え、ミニマリストという概念が広まったと考えられます。
過剰な消費が必ずしも幸福に繋がらないことに気づき始めた人々が、増えている証左かもしれせん。
近親者の遺産整理や離婚などを経験すると、結局は廃棄するしかない物が殆どであることに驚かされます。大事なのは物より記憶かもしれません。物も五感で認識するしかありませんので、脳にとっては究極的には記憶です。現実に所有する必要があるのかよく考えることが大事ですね。

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