生物学者の福岡伸一氏は、生命とは「動的平衡」にある流れであると定義しています。「動的平衡」とは、生命体が常に分解と合成を繰り返しながら、一定の状態を保つことを指します。この表現だとやや難しいですが、人間の例で考えると分かりやすいです。
我々人間含めた生物は日々食事と排泄を繰り返しています。人間の体も、一年も経てば、脳も心臓も骨も、分子レベルでは全て置き換わっているそうです。自分を構成するものはすっかり入れ替わっているのに、自分は自分のまま続いている状態を、「動的な流れのなかで、平衡状態を保っている」、即ち「動的平衡」と呼びます。
1.生命とは流れゆく分子の淀みにすぎない
「動的平衡」の話は、「テセウスの船」の話にも似ています。
「テセウスの船」は、哲学における同一性に関するバラドックスの一つです。古代ギリシャの英雄テセウスがミノタウロスを倒した後に使った船に関する話に由来しています。
伝説によると、英雄テセウスの船はアテネに戻った後、記念物として保存されましたが、時間が経つにつれて船の部品が老朽化し、それらが新しい部品で置き換えられていきました。最終的に、元の部品が一つも残っていない状態になったとき、その船は依然として「テセウスの船」と呼べるのか、という問題提起です。
テセウス船は物体の例ですが、生物は常に分解と合成を繰り返しながら、一定の状態を保っている訳です。
福岡氏は、私達生物は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい淀みでしかなく、しかもそれは高速で入れ替わっていると述べています。この流れ自体が生きているということであり、常に分子を外部から与えないと、出て行く分子との収支が合わなくなり、死んでしまいます。細胞が絶えず新陳代謝を行いながら、全体としては安定した状態を保っています。見かけ上の静止状態を保ちながらも、内部では活発な動きが存在するという、一見矛盾するような状態です。まさに諸行無常ですね。
2.宇宙の大原則はエントロピー増大の法則
生命が見かけ上ではあっても静止状態を保ち続けていることは、実は大変なことです。
何故なら、この宇宙にはエントロピー増大の法則という大原則があるからです。エントロピー増大の法則とは、「すべての秩序あるものは、その秩序が崩壊する方向にしか動かない」ということです。二つの異なるガスが入った容器をつなげると、それぞれのガスは徐々に混ざり合い、最終的には容器全体に均一に分布します。熱いコーヒーに冷たいミルクを加えると、最終的にはコーヒー全体が均一な状態になります。石造りのピラミッドも徐々に崩壊していきます。あらゆるものが、秩序が崩壊する方向にしか動きません。
しかしながら、生命体は一定の秩序を保っています。人間は死ぬ迄人間の形をしています。
「たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい淀み」の状態を維持し続けています。絶え間なく物質、エネルギーを交換し、自らを壊しつつ、創り変えることで形を維持し続けています。これは、エントロピー増大の法則に対抗するために、生物が進化の出発点で選び取ったたったひとつの方法だと福岡氏は述べています。
生物は自然崩壊に先回りして自らを壊し、環境から取り込んだ分子を使って自分をつくり直すことによって、エントロピーを捨てながら形を保っている訳です。
3.人間の理性をもってしてもエントロピー増大の法則に完全には抗えない
人間は、エントロピー増大の法則という宇宙の大原則に抗う存在です。その巨大な脳によって理性を働かせ、国家・企業・経済・貨幣といった永続する秩序を作り出し、科学技術を発達させて永続的発展を志向し、死を克服しようとさえしています。世界中にある世界遺産の多くも、永遠の名誉を得ようとした権力者達の妄想の所産です。
しかしながら、世界遺産も永遠ではありません。テセウスの船ではありませんが、修復をしなければ、崩壊していきます。エントロピー増大の法則に完全には抗うことは出来ません。
生物は、日々流れ、移り変わり、周囲の環境と共存しながら生きています。世界から独立し、代謝のないロボットとは異なります。
生物の根幹である「動的平衡」とは、確固たる個体ではなく現象を示す言葉です。宮沢賢治は、「春と修羅」という詩集の冒頭に「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」という言葉を残しています。
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