欲求充足へのアプローチ

哲学

幸福の定義は個々人で異なりますが、敢えて抽象度を上げて纏めてしまうと、欲求を充足させることと言えるかもしれません。
その場合、欲求の大きさというよりも充足度が問題になります。コップに半分の水を、半分しか入っていないと考えるか、半分も入っていると考えるかで充足度は異なります。
要するに個人的な充足度の捉え方の問題です。あくまでも自分の物差しで考えれば良いはずなのですが、世間の物差しで考えた途端に満足は不満足に変化してしまいます。
「コップに半分の水」で満足していたのに、「コップに半分しか水がない」と言われた途端に、周囲から提示された世間の物差しが自分の価値観にとって代わり、不満に転じます。不満はストレスに、ストレスは不幸に繋がります。
この厄介な代物にどう対処すべきでしょうか?

まとめ
1.器を満たす:増え続ける器をひたすらに満たし続ける。(煩悩の赴くままに行動)
2.器を変える:器のサイズを小さいものに変える。(足るを知る[知足])
3.器を減らす::器の数を減らし、本当に大事な器だけにする。(取捨選択)
結論
・根拠の乏しい世間の物差しを捨て、本当の欲求を自問する。

1.器を満たす:増え続ける器をひたすらに満たし続ける

人間の煩悩には際限がないので、「器は増える、そして、より大きくなる」というのが、人間のデフォルトの設定です。しかしながらデフォルト設定では、永久に欲求は充足されないし、幸福にはなれないでしょう。
仏教の教えによれば、煩悩の根源は、三毒(食欲・瞋恚・愚痴)であるとしています。食欲とは貪り求める心、瞋恚とは怒りの心、愚痴は真理に対する無知の心です。煩悩を断つことで苦しみを滅ぼすことができるとされています。
三毒が生じるのは、縁起の理に基づいた真のあり方である三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)を理解していない為に、今の状態がいつまでも続くと錯覚し拘りを持つからであるとされています。なかなかロジカルですね。

2.器を変える:器のサイズを小さいものに変える

煩悩に従って、ひたすらに増大し続ける欲求という器を満たすことには限界があります。
充足感を得るには、器を小さな物に変えるという選択肢もあるでしょう。「知足」という言葉があります。自分の持ち分に満足し、それ以上を求めないことを指す言葉です。
これは「足るを知る者は富む」という「老子」の教えから来ています。また、「知足」は、禅語でもあり、曹洞宗の開祖・道元の説法「八大人覚」にも出てきます。少欲・知足・寂静・精進・不忘念・禅定・智慧・不戲論の八つの教えのことです。深い自省の中で、世間の物差しを捨て去り、自分の物差しで器を変えることが出来れば、充足度を上げることは出来るかもしれません。

3.器を減らす::器の数を減らし、本当に大事な器だけにする

小さな器に変えるとともに、器の数を減らすことも大切です。人間は有限の存在であり、寿命にも限界があるので、時間だけでなく、欲求の充足に活用できるリソースは限られているからです。
全ての器を満たすことはできないですし、器の取捨選択が必要です。
本当に満たしたい欲求を見極めなければなりません。フランス出身の文芸評論家ルネ・ジラールが唱えた理論に「欲望の三角形」というものがあります。三角形の頂点は、欲望の対象と他者と自分です。
ジラールによれば、欲望とは具体的な対象に対する欲望ではなく、他者の欲望を模倣するところから始まるとされます。
もし欲望の起源が他者の欲望を真似することであるならば、欲望は対象からもたらされるものではないことになります。「羨ましい」と思うことから欲望が発生します。
従って、何か欲求が生じた場合には、本当に自分の欲求なのか、模倣された欲求ではないのかを自問する必要があります。欲求を取捨選択し、優先度の高い欲求にリソースを割く方が良いに違いありません。
世間の物差しは、承認欲求と同調圧力が生み出す虚構であり、本来は個人の幸福と相関はありません。
世間の物差しから外れた人間を、社会が異常と見做すことから悲劇は生まれます。鳥は飛べますが、人間は飛べません。人間の物差しでは、鳥は異常なはずですが、「飛べる鳥は異常である」とは言いません。鳥は世間の勘定に入っていないからです。
人間は恣意的に世間を切り分けて、世間の中での同調を強いる生物です。
社会のなかで生きるに際して、ある程度の迎合は必要かもしれませんが、世間の物差しをそのまま受け容れる必要はありません。

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