「地獄の黙示録」とコンゴ自由国

文学

1979年のフランシス・フォード・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」は、ベトナム戦争を舞台にしたアメリカ映画ですが、原作があります。
原作はイギリス人小説家ジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」ですが、実は舞台はベトナムではなくアフリカのコンゴです。西洋植民地主義の暗い側面を描写したこの小説は、英国船員時代コンゴで得た経験を元に書かれ、1899年に発表されました。
世界史の教科書にも詳細な記述は無くあまり知られていませんが、このコンゴでの植民地支配は筆舌に尽くし難い程凄まじいものでした。

まとめ
1.前代未聞の圧政と搾取
2.国王の私有領となった背景
3.資本主義の歯車となったコンゴ

結論
歴史の暗部は矮小化されることが多い。

1.前代未聞の圧政と搾取

19世紀後半、ベルギー国王のレオポルド2世はコンゴの領有を狙って、探検家スタンリーを派遣し内陸部に支配を拡げました。このアフリカ侵出は先行していた帝国主義の列強諸国を刺激した為、ドイツ宰相ビスマルクの調停によりベルリン会議が開催されます。その結果、レオポルド2世の私有領として承認され、それを機にコンゴ自由国が成立します。これが地獄の始まりとなります。
コンゴの現地人には土地所有の概念がないことにつけこみ、ジャングルを国有地とし、現地人に人頭税として象牙やゴムで納めさせました。つまり対価を払うことなくただで商品を手に入れた訳です。
象牙やゴムの採集が規定量に達していないと、手足を切断するという非人道的な刑罰が行われました。特にゴムの採取は非常に困難で、規定量を満たすことができない場合が多かった為、一部の住民は自らまたは他の住民の手足を切断し、それをゴムの採取量の代替として提出することで、規定量を満たしたことにしていました。
また、黒人集落から狩り出した人々を逃亡させない為に公安軍が組織されました。公安軍指揮官は白人ですが、コンゴ以外の黒人が兵士に採用されました。そして反抗する者は容赦なく撃ち殺されました。
また、公安軍幹部の白人は、黒人兵士の銃弾の数を厳しく管理する為に、人を殺すのに使った銃弾の数に見合う死者の右手首を切り落として提出することを黒人兵士に命じました。その結果、黒人兵士は銃を使わずに、生きたままの人間の手首を切り落として提出し、その分の銃弾を着服したそうです。正に地獄絵図です。

2.国王の私有領となった背景

ここ迄酷い残虐行為が長期に亘って放置されたのは、ベルギー国王レオポルド2世の私有領であったことと無縁ではありません。
いくら強欲な帝国主義の列強諸国でも法治国家であれば、議会承認や行政手続等のプロセスがある筈です。しかしながらレオポルド2世の私有領であるコンゴでは、残虐行為への歯止めは何一つ無く、国王の暴政が罷り通っていました。
これだけ広大な領土が、近代において国王の私有領になることは前例がありませんでした。ベルリン会議でビスマルクは、「ライバルのイギリスやフランスの植民地とすることは許し難いし、さりとてベルギー王国の植民地として認めることも他国の理解は得られない、落としどころとして国王の私有領と言うことにしよう」と考えたのかもしれません。
搾取の実態が徐々に明らかになり、国際社会の非難の声がますます高まった結果、国王の暴政にベルギー政府も黙っていられなくなります。1908年ベルギー政府は植民地憲章を制定し、国王はベルギー政府からの補償金と引き換えにコンゴ自由国を手放すことになりました。コンゴ自由国はベルギー政府の直轄植民地ベルギー領コンゴとなり、統治の実情は多少なりとも改善されたと言われています。

3.資本主義の歯車となったコンゴ

そもそもですが、レオポルド2世がここまで酷い搾取を強引に進めた背景は何でしょうか。
それは、自転車の車輪に使われていたゴムが19世紀末に自動車用のタイヤとして用いられるようになったことで、爆発的に需要が伸びたことです。20世紀初頭、コンゴ産のゴムは世界総生産量の10分の1を占めるに至りました。欧米において自動車の急速な普及を支えたゴムのかなりの部分は、コンゴ自由国の黒人の無償労働で生産されたものでした。自動車を購入した消費者は、当然そのような事情は知りません。先進国の資本主義的な消費動向が、生産国に深刻な影響を及ぼしている構図は今も変わりません。
それにしても、これだけの人道被害が教育の場であまり教えられていない実態には疑問を感じますし、「地獄の黙示録」の舞台がコンゴからベトナムに変えられてしまった点には、興行収入上の事情があったのかどうか定かではありませんが、残念な思いがします。
人間は基本的に見たいものしか見ませんので、歴史の暗部は矮小化されることが多いのかも知れませんが、もっと着目されるべき歴史だと思います。

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