「過去はブラックホールに似ている。近すぎると取り込まれて消えてしまう。」
映画「ドラゴンタトゥーの女」の続編である「蜘蛛の巣を払う女」を視聴しました。この映画の中で、とある人工知能研究の権威が陰謀の犠牲になって殺害されてしまいますが、息子である少年が父から聞いた言葉として語った言葉です。
とても印象的な言葉だったので、思わず視聴をポーズしてしまいました。
1.過去の精神的引力は凄まじい
「過去はブラックホールに似ている」という言葉は、様々な解釈が可能だとは思います。
ブラックホールは非常に大きな引力を持つ天体です。その引力は、光さえもブラックホールから抜け出すことができないほど強力です。ブラックホール周辺では光が引力に勝てないので、ブラックホール自体は黒く見えます。
人間は多くの過去を背負って生きている訳ですが、トラウマになるような巨大な引力を持つ過去に捉われてしまうと、抜け出すことが出来なくなります。人によっては人生ごと飲み込まれる場合もあるでしょう。巨大な過去は引力も強力です。
この言葉を敢えてポジティブに解釈するとすれば、過去から遠ざかる程、引力は小さくなるということです。ブラックホールは遠くの天体であり、引力は強力ながら、近づいて来る訳ではないからです。
2.過去は存在しない、記憶だけが存在する
そもそも過去とは何でしょうか。過去には戻れませんし、変えることも出来ないことは確実のようです。合理的に考えれば後悔は無駄です。出来るのは教訓を未来に活かすことだけです。改めて過去と何かを考えてみると、つまるところ記憶なのだと思います。
イギリスの哲学者でノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセルは、「世界五分前仮説」という思考実験を提唱しました。その内容は「もし人や物、歴史や記憶、世界の全てが五分前に神によって突然作られたものだったとしたら」という仮説です。そんなことはあり得ないと誰しも思います。しかし、実はこの仮説を否定することは出来ないことが知られています。
「過去」は既に終わったことであり、「現在」には存在しません。あくまで「過去」とは頭の中の知識・記録でしかなく、「現在」や「未来」との論理的な結びつきは無い訳です。
我々を苦しめるブラックホール級の過去の記憶も、5分前に作られたものかもしれません。ブラックホール級の過去の記憶に、何故強力な引力があるかといえば、本人にとってショッキングな記憶であった為です。脳のスイッチは自由にオフにすることが出来ませんので、際限なく脳内で繰り返し再生され、人間を苦しめます。
事実としての過去は変えられないかもしれませんが、記憶の再生への対処には工夫の余地があるかもしれません。
3.元来記憶は生き残る為のもの、死に至る記憶は戦略的に忘れる
元来記憶は、生物として生き延びる為に進化の結果として獲得したものです。危険な捕食者から逃げる為には、捕食者を記憶する必要があります。
愛する人から捨てられた、酷いいじめにあった等の精神的ダメージは、物理学上は脳内の化学変化に過ぎません。社会性の獲得と集団化という進化によって食物連鎖の頂点に立った人間は、不幸にも集団を維持する為に他者と関わる複雑な感情を沢山抱え込むことになりました。愛情や孤独感もそうした進化の産物です。
同時に人間にしか感知できないブラックホールが大量に発生しました。精神世界の天空に天の川はありません。
社会の常識・倫理・幸福の基準から自分が外れてしまうと負の感情が発生します。無限に押し寄せる世間一般の基準のリフレインが、負の感情を膨らませブラックホールとなります。愛する人からの裏切りがルサンチマンとなって殺人や自殺に至る場合もありますが、人間だけに見られる現象です。
社会から押し寄せるリフレインは執拗です。学校や会社、TV等のメディアに至るまで、デフォルトの幸福基準を繰り返し押し付けてきます。
例えば「いい学校に入れば幸せになれるはず」、「いい会社に入れば幸せになれるはず」、「結婚すれば幸せになれるはず」、「ブランド物を持てば幸せになれるはず」というフォーカシング・イリュージョンであり、コマーシャルは幸せのイメージを機関銃の如く乱射してきますし、現実とのギャップをいやでも意識させます。
脳内の海馬は繰り返しインプットされる情報を記憶として刻み込みます。さして役に立たない知識を繰り返し海馬にインプットするのが受験勉強ですが、海馬を騙すのが受験勉強の要諦です。
社会からのリフレインを遮断することが、ブラックホールから遠ざかる一番有効な方法かもしれません。また、過去の失敗の記憶があったからこそ、教訓を活かせたとすれば、過去の解釈を変えたことになります。事実は変えられませんが、脳内の過去に関する解釈は本人次第です。世間は関係ありません。