人間には他の動物には無い幾つかの特徴があります。キーワードは「労働」「死」「性活動」です。例えば以下のようなものがあります。
・労働を行う。
・死者を埋葬する。
・性活動に恥じらいを感じ、性器を隠す為のパンツを穿く。
毎日会社に通勤する動物はいませんし、墓を建てる動物もいませんし、パンツを穿いた動物は愛玩動物以外ではいません。フランスの哲学者・思想家・作家であるジョルジュ・バタイユは、エロティシズム、死、禁忌等、幅広いテーマについて興味深い考察をしています。エロティシズムに関する小説も書いている三島由紀夫は、バタイユのことを「エロティシズムのニーチェ」と呼ぶなど、大きな影響を受けていたようです。
1.動物的行為の禁止
バタイユによると、人間は労働を通して自分を動物から区別するようになり、それと並行して、自分自身に禁止という名の下に知られている制約を課したと述べています。労働とは自然に対して働きかけ、自然を改変していくことであり、自然に対して距離をもって存在していることが必要です。距離を置くことで自然を対象化し、人間は自然を変えてきました。それは自然のままにならないという拒否の宣言であり、自然と再び同一化すること・連続的となることへの禁止として現れました。
「労働」「死」「性活動」のキーワードから列挙すると、非生産的な労働を忌避し、死の象徴である死体を排除する為に埋葬を始め、殺人を禁ずる戒律を策定し、パンツを穿いて性活動にも様々な禁忌を設けました。死も性活動も動物としては極自然なことですが、死を実生活から極力遠ざけ、他者の目を一切気にしない動物の様な衝動的性活動に対する恥じらいを感じるようになり、動物と一線を画するようになりました。不倫や近親相姦等の人間特有の性的タブーは多くあります。
自然から離脱して漸く人間になると考えられているので、人間であり続ける為には、自然に回帰することは禁止される訳です。
2.人間的行為の違反
然しながら、やはり人間は動物です。人間は人間である為に、数々の禁止行為を自らに課した結果、動物としての本能を抑圧しながら生きることになりました。動物としての本能は制御し難く、一定のルール的枠組の中でのみ禁止を解除することを人間は発明します。
生産的な活動である労働に対しては、非生産的な消費である蕩尽や遊び、大規模な祭儀や祝祭であり、死に対しては、他者の死をみる供儀(生贄)であり、生殖活動に対しては、恥じらいを共犯の感情を介して乗り越えるエロティシズムです。
人間は、禁止されればされるほど違反への衝動に駆られてしまいます。
蕩尽とは、財産等を使い尽くすことです。具体例としてはポトラッチがあります。北米の先住民にみられる贈答の儀式ですが、地位や財力を誇示する為に、ある首長が気前よく豪華な贈り物をすると、贈られた首長は、更にそれを上回る贈り物で返礼し、相互に競争的な応酬を繰り返すものです。
また、世界には様々な奇祭があります。木落としで怪我人が出る諏訪の御柱祭、山車を曳き回し家屋が壊れる岸和田のだんじり祭、トマトを投げ合うスペインのラ・トマティーナ、色粉や色水を人々に投げつけ合うインドのホーリー等、暴れ方が抑圧の開放にしか見えません。
供儀(生贄)も、世界中で見られます。旧約聖書や各地の神話にも記述があります。
三島由紀夫の作品「春の雪」(「豊饒の海」四部作・第一巻)は、貴族の禁断の恋を題材にエロティシズムを表現した作品とも言えます。禁断だからこそ違反したくなる訳です。
3.戦争は蕩尽である
心理学者フロイトは、人間の無意識に光を当て、心はエス・自我・超自我という3つの構造からなっているとしました。エスはエロスと言われる性的本能とタナトスと言われる破壊本能から構成される原始的な衝動のことです。
アインシュタインからの「人間は何故戦争をするのか」との問いに対して、フロイトは、「人間の欲動には、エロス的欲動と破壊し殺害する欲動(タナトス)があり、人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない」と答えています。
バタイユは、戦争が富を蕩尽するものであり、世界戦争という蕩尽しか選択できない西欧文明を批判しました。
人間は、本能ともいうべき落尽としての戦争を抑止出来ないのか、それとも戦争を止められる程に文明を発展させることが出来るのか。現在は戻ることの出来ない岐路にいるのかもしれません。
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