枢軸時代とゴーギャン

哲学

画家ゴーギャンの代表作の一つに「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」と題する絵があります。
愛娘を亡くし、家から立ち退きを余儀なくされ、借金を抱えた上に健康状態も悪化するなど、ゴーギャンが失意のどん底にあった時に描いた絵だと言われています。本作を描き上げた後に自殺を決意しましたが、未遂に終わっています。
何故、三つの根源的な疑問文を並べたような題を付けたのかは分かりませんが、現代人の漠然とした疑問を体現しているような気がします。
つまり、「自分の存在がよく分からない」ということです。

まとめ
1.枢軸時代の謎
2.第三の「拡大・成長」と「定常化」
3.「分からないこと」が特徴的な時代

結論
分からないけど考える。打てる手は打っておく。

1.枢軸時代の謎

現代は、生きていくうえでの拠り所となるような哲学や世界観のようなものが分かりづらい時代と言えます。
IT革命によって生活がかつてないスピードで変化し、人工知能が人間の知能を超えつつあり、医療技術の進化で不老不死が現実的になりつつあり、環境破壊が進んで地球温暖化や気候変動が進行中であり、コロナ禍のような人獣共通感染症が猛威を振るい、社会格差が拡大して資本主義にも限界が見えつつあり、核保有国が増加して戦争も無くならないようなカオスの世界です。全ての事象は複雑に繋がっており、快刀乱麻を断つことも儘ならない状態です。
こんな問題が飽和したような時代は、歴史上あったのでしょうか。
ドイツの哲学者ヤスパースは、紀元前5世紀前後、普遍的な価値を志向するような思想が地球上で同時多発的に生まれたことを指摘しています。インドでの仏教、中国での諸子百家、ギリシャ哲学等です。ヤスパースはこの奇妙な時代を「枢軸時代」と名付けました。
背景としては、世界的に農耕による開発と人口の急速な増加が進んだ結果、森林の枯渇や土壌の浸食等が進行し、農耕文明が環境的制約に直面しつつあったということが指摘されています。規模は違えども現在の状況に酷似しています。

2.第三の「拡大・成長」と「定常化」

広井良典氏の著書「無と意識の人類史」によると、人口や経済における「拡大・成長」と「定常化」というサイクルを、人類は過去3回繰り返しているとのことです。
また、「拡大・成長」から「定常化」への移行段階で、革新的な思想や観念が生まれているとも指摘しています。
第一のサイクルは、狩猟採集時代であり、定常化段階で「心のビッグバン」という現象が発生し、ラスコーの洞窟壁画に代表されるような芸術が出現しました。第二のサイクルは農耕の拡大と成熟であり、定常化段階が「枢軸時代」です。第三のサイクルが近代資本主義の勃興や産業革命で始まる時代であり、現在は定常化に差し掛かっている段階です。
資本主義と科学技術の両輪で拡大してきた社会が、地球資源の限界に直面し、既存の哲学や世界観では対処できなくなっているのが今です。

3.「分からないこと」が特徴的な時代

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というゴーギャンの問いかけに答えることが出来ない不安な時代です。
つい数十年前の高度経済成長期までは経路依存症でも乗り切れましたが、そんな幸福な時代は終焉を迎えました。「分からないこと」が特徴的な時代と言えます。
脳の情報すべてを機械ないしインターネット上にアップロードして永遠の意識が実現する社会になるかも知れませんし、不老不死を実現して有機体のまま無限に生きる社会になるかもしれません。脳のアップロードは傑作アニメ「攻殻機動隊」で難民のリーダーであるクゼ・ヒデオが強制的な進化として成し遂げようとしたことです。SFは重要な思考実験を提供しています。
このような社会が実現した場合、枢軸時代をベースとした哲学や倫理では対処できません。
不老不死になれば、家族という概念も、人間という概念も変わってしまうからです。家族や人間を前提とした倫理も変わってしまうかも知れません。それは「第二の枢軸時代」を意味します。
分からないからといって思考停止するのは得策ではありません。何が起きるか分からないので、思わぬチャンスが巡って来る可能性もあります。
何かが起きた時に、何が起きたのか分からないと、チャンスかどうかも分かりません。分からないけど考えるしかありません。打てる手は打っておかないといけません。難儀な時代です。

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