ジョージ・オーウェルの動物農場

文学

ディストビア小説の金字塔「1984年」の著者であるジョージ・オーウェルは、「動物農場」という作品も書いています。ソビエト連邦の歴史とスターリン体制を風刺した小説として有名です。米ソ冷戦時に、CIAは「エイディノソー作戦」と称して、この小説のコピーを積んだ何百万もの風船を旧共産圏のポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアに飛ばしたそうです。
とある農場の豚であるオールド・メジャーが、悪辣な農場主ジョーンズによる支配への不満を動物たちに訴え、革命を呼びかけます。オールド・メジャーは死んでしまいますが、彼の思想は「動物主義」として残り、他の豚たち、特にナポレオンとスノーボールによって引き継がれます。動物たちは農場主ジョーンズを追放し、農場を自分たちで管理する「動物農場」として新たなスタートを切ります。当初は全ての動物が平等で、理想的な共同体を築きますが、やがて権力を握った豚たちが他の動物たちを支配し始めます。特にナポレオンは独裁的な指導者となります。
スノーボールは農場の近代化を進めようとしますが、ナポレオンによって追放されます。ナポレオンは独裁体制を強化し、最終的には、ナポレオンと他の豚たちが人間と区別がつかないほどになり、動物たちが革命で夢見た理想郷は完全に崩壊します。動物たちは、新しい支配者が旧支配者と変わらないことに遅まきながら気づきますが、もはや手遅れです。

まとめ
1.ショック・ドクトリンでロシア帝国が崩壊
2.ショック・ドクトリンで日本も軍国主義化
3.いつショック・ドクトリンが起きてもおかしくない日本

結論
ショック・ドクトリンで国の形は簡単に変わる。

1.ショック・ドクトリンでロシア帝国が崩壊

物語の登場人物にはモデルがいます。農場主ジョーンズはロシア帝国の支配層、オールド・メジャーはレーニン、ナポレオンはスターリン、スノーボールはトロツキーです。トロツキーは、レーニンの死後、スターリンとの権力闘争に敗れ、国外追放された後に暗殺されました。
日露戦争からソビエト連邦成立迄の流れを概観すると以下の通りです。
1904-1905:日露戦争、ロシア敗北で国内不安高まる
1905:血の日曜日事件、戦艦ポチョムキン号の反乱
1914:第一次世界大戦が勃発し、ロシアは連合国側で参戦
1917:二月革命、皇帝コライ2世退位。敵国ドイツの封印列車でレーニンがロシアに帰国、十月革命でソビエト政権樹立
1918:ロシアが第一次世界大戦から離脱、ロシア内戦開始。米英仏日等がシベリア出兵による軍事干涉開始
1922:ロシア内戦終結。
帝政に対する不満は従前から燻っていたものの、第一次世界大戦勃発から、敵国ドイツの陰謀によるレーニンの帰国、ソビエト連邦の独裁体制成立迄の流れがかなり早いです。
「ショック・ドクトリン」という言葉があります。社会に壊滅的な惨事が発生した直後、人々が茫然自失している状態をチャンスととらえ巧妙に利用する政策手法のことです。元々はカナダのジャーナリスト・作家であるナオミ・クラインが著した「ショック・ドクトリン:資本主義の台頭」で提唱した造語ですが、ソビエト連邦の独裁体制成立も、第一次世界大戦や列強によるシベリア出兵等をフル活用したショック・ドクトリンという側面もあると思います。

2.ショック・ドクトリンで日本も軍国主義化

日本はどうでしょうか。大正時代迄は大正デモクラシーの様な民主主義的運動が活発でしたが、瞬く間に軍国主義国家に変貌していきます。
1912:大正時代となり、政治的自由や民主主義的な運動が活発化
1925:男性普通選挙法が成立し、選挙権が拡大
1929:アメリカの株式市場が大暴落、世界恐慌始まる
1931:満州事変が勃発し、日本軍が中国東北部に侵攻、満州国建国
1932:五・一五事件が発生し、犬養毅首相が暗殺
1936:二・二六事件が発生
大正デモクラシーの活発化で民主化のモメンタムが高まっていたにも拘らず、世界恐慌を契機に、ショックをフル活用した軍部により軍国主義化のショック・ドクトリンが完遂されました。

3.いつショック・ドクトリンが起きてもおかしくない日本

そもそもですが、日本は地政学的には世界最高レベルの厳しい状況にあります。ロシア・中国・北朝鮮等の独裁国家、且つ核保有国に取り囲まれています。中国が台湾に侵攻するようなことになれば、否応なく巻き込まれます。
独裁国家の利点は決断が早いことです。合意形成に時間のかかる民主国家は、戦時下で後手に回る可能性が高いでしょう。
社会に壊滅的な惨事が発生した直後、人々が茫然自失して思考停止している状態をチャンスととらえ巧妙にショック・ドクトリンを仕掛ける輩がいてもおかしくありません。そういう歴史上の先例は枚挙に暇がありません。

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