正義とは集団内の多数派意見?

哲学

戦争が起きる原因については様々あり、経済的な背景があることも多いですが、多くの国民を動員する以上は、当事者の双方が「正義」を掲げて戦います。
従って、「自国の正義」と「敵国の正義」は異なります。自国内の殺人は不正義ですが、敵国兵士の殺害は正義とされてしまいます。正義とは、イメージと異なり意外と曖昧です。

まとめ
1.道徳的なジレンマはいつでも発生する
2.哲学によって正義は異なる
3.正義とは集団内の多数派意見
結論
所属集団内の正義を鵜呑みにしない。集団の外側には別の正義が存在する。

1.道徳的なジレンマはいつでも発生する

有名な「トロッコ問題」という思考実験があります。概要は以下の通りです。
「あなたはトロッコの運転手で、トロッコの前には5人の作業員がいます。ブレーキが壊れていて止まることができない為、そのまま進むと5人の作業員が死亡します。しかし、スイッチを押すとトロッコは別の線路に進むことができ、その線路には1人の作業員がいます。あなたはスイッチを押して1人の作業員を犠牲にし、他の5人を救うべきでしょうか、それとも何もせずに5人が死ぬのを見守るべきでしょうか。」
功利主義の「最大多数の最大幸福」を追求するという原則に従えば、1人を犠牲にして5人を救うのが最善の行動となります。しかし義務論から見ると、無害な人を故意に傷つける行為は絶対に許されないので、スイッチを押さないのが最善となります。
「嘘をつかない」という道徳もありますが、「相手の為につく嘘」も存在します。人間はいろいろな場面で、道徳的なジレンマに出くわします。

2.哲学によって正義は異なる

中国思想の諸子百家のなかでも、儒家と墨家では愛の捉え方が異なります。
儒家の愛の観念は「仁愛」と表現されます。親子、君臣、夫婦、兄弟、朋友の間の五つの基本的な人間関係における相互の義務と敬意を中心に据えています。儒家の愛は階層的であり、親に対する孝行や君主に対する忠義など、特定の人々への愛が重視されます。
一方で、墨家の愛の観念は「兼愛」と表現されます。全ての人々を平等に愛し、他人を自分自身のように扱うという考え方を中心に据えています。
ここで一つ思考実験をしてみましょう。
「タイタニック号が氷山に衝突し、今にも沈没しそうな状況です。幸いにもあなたは救命ボートに乗ることが出来ました。スペースには1名分の余裕があります。一人しか助けることが出来ません。すぐ近くに見ず知らずの溺れそうな人がいます。10メートル先に溺れそうなあなたの親がいます。どちらを助けますか?」
儒家の思想では、親を助けるのが正義です。墨家では近くにいる見ず知らずの人を助けるのが正義です。
孔子を祖とする儒学は国学とされ、中国・朝鮮・日本等の東アジアに広がり、我々の道徳観にも大きな影響を与えています。墨子を祖とする墨家は滅び去りました。
儒学が国学となった理由は、君主に対する忠義を重んじるところが権力者にとって都合がよかったこともあるでしょう。

3.正義とは集団内の多数派意見

進化心理学的には、感情は進化の過程で獲得したものとされています。
チームワークで生き延びてきた人類が、強みである人間社会を維持する為には、集団の秩序を守る必要があります。
他者の権利を侵害しない、或いは集団の利益を損なわないという道徳を守る集団が繋栄するにつれて、社会性の高い人間の構成比率が高まったことが考えられます。
集団が掲げる道徳は、各集団の多数派意見に影響を受ける可能性が高いと思います。
ユダヤ人であるドイツの哲学者エーリッヒ・フロムは、主著「自由からの逃走」において、「権威主義的パーソナリティ」について説明しています。
キリスト教や封建制度など中世社会の束縛からの解放によって自由を得た人々が、新たな不安や孤独に直面すると、自由から逃避するために、新たな依存関係や従属関係を求める傾向があるとしています。
「権威主義的パーソナリティ」とは、他者や集団の権威に服従し、自分よりも強い者に依存しながら、自分より弱い者を支配することで心の安定を保つ性格のことを指します。自由の不安から逃れるための一種の心理的防衛ですが、これがナチスの台頭を招いたと言われます。
「権威主義的パーソナリティ」は容易に人間社会に浸透するリスクがあります。人間は自由に伴う不安や孤独に耐えられないからです。そうした人々が多数派になれば、恐ろしいことにホロコーストですら正義になってしまいます。
所属集団内の正義を鵜呑みにするのは危険です。集団の外側には別の正義が存在します。会社の不祥事は、コンプライアンスが社内道徳で軽視されることから発生します。

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