自我はどうしてあるのか

哲学

自我とは一体何でしょうか。辞書的には「自分自身に関する主体としての意識の総体。自我意識」、「自分。自己。意識や行為を司る主体としての私。」等と説明されています。
一方で、全ての苦しみも自我があることによって発生しています。私が「悲しい」のであり、「寂しい」のであり、「辛い」のです。そうした負の感情は、総じて「自我」と「他我」との関係のなかで生じます。
大ヒットアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のなかに、ゼーレという秘密結社の「人類補完計画」というものが出てきます。
「出来損ないの群体として既に行き詰まった人類を、完全な単体としての生物へ人工進化させる計画」とされ、全人類の心を一つに統合することで、「個」の概念を消すというものです。これにより、人間が持つ孤独や苦しみを解消し、完全な存在へと進化させるという内容ですが、主人公シンジが他人の存在する世界を望んだ為、計画は最後に失敗します。
人間以外の動物に自我があるかどうかは諸説あります。アメーバや細菌に自我があるとは思えませんが、一部の哺乳類には自我があるかもしれません。魂という言葉がありますが、人間を素粒子レベル迄分解しても魂は見つからないでしょう。人間にはどうして自我の意識があるのでしょうか。

まとめ
1.自我という実体はない
2.自我の意識は進化の過程でエピソード記憶を持つ為に獲得した
3.人間社会が複雑化するにつれ自我の意識はより強固になった
結論
・自我に拘りすぎると他我との関係に苦しむ

1.自我という実体はない

先述の通り、人間を素粒子レベル迄分解しても、自我や魂といったものはありません。
自分のことを説明しようとしても他者との関係のなかでしか定義できません。
「AとBという両親のもとに生まれ、Cという大学を出て、Dという会社に入り、Eと結婚し、Fという子が生まれ・・・」といった具合に、他者という無数の点との関係において、結節点を自我といっているだけです。
結節点には面積も体積も無いので実体はありません。同様に他者にも実体はありません。

2.自我の意識は進化の過程でエピソード記憶を持つ為に獲得した

生物に自我の意識が芽生えたのは何故でしょうか。
ヒントは進化論にあります。
生物の歴史を見ると、カンブリア紀にカンブリア爆発と呼ばれる生物多様性の急拡大が起こったとされています。
光受容細胞からレンズ眼への進化が起こり、生物が確りした視覚を得たことで、捕食者と被捕食者の進化競争が激化しました。
その結果、敵か味方の判別の為に記憶の発達が促されました。毎度同じ敵に襲われない為には、エピソード記憶が必要になります。
天敵に襲われた記憶によって、次回から視覚で捉えた瞬間に回避行動が取れるようになります。エピソード記憶を持つためには、自他の区別が必要であり、自我という概念を発達させる必要がありました。

3.人間社会が複雑化するにつれ自我の意識はより強固になった

捕食者という外敵だけでなく、種の存続の為に高度な社会性を獲得した人間は、増え続ける他者との関係を情報処理して整理する必要性から、より強固な自我の意識を発達させました。
社会が重層化・多様化・複雑化すれば、それだけ桁違いのエピソード記憶が必要となり、自我を軸として他者毎に記憶を整理する必要が出てきます。
同一の他者に対しても、どんな場合に機嫌がいいのか、どんな場合に悲しむのか、シーン毎に記憶する必要があるからです。
繊細な人間は、相手の膨大なエピソード記憶からなるイメージとギャップの大きい反応に出くわすと、相手の反応が理解できずに混乱し、因果関係が分からず思考の無限ループに陥って疲れ切ってしまいます。
繊細なだけに割り切ることも出来ず、相手のとった態度の原因を自分に求め、自分を責め続けてしまいます。
人間といえども大いなる自然の一部です。自我という実体はないのに、自我に拘り過ぎて他我との関係に悩んだり、自分を傷つけたりするのは得策ではありません。受け流すか逃げるのが自然の一部としての健全な態度です。究極的には感情は化学変化に過ぎません。

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