「カントの鳩」と人間

哲学

偶々、太宰治の「鬱屈禍」という作品を読んでいたら、「カントの鳩」という逸話に触れられていました。「カントの鳩」は、哲学の巨人カントの著作「純粋理性批判」における思考実験から来ています。
この思考実験では、鳩が空中を飛ぶ際に空気の抵抗を感じ、「もし空気がなければもっと速く、もっと自由に飛べるだろう」と考えるという状況を描いています。しかし、実際には空気がなければ鳩は飛ぶことができません。カントは、この譬えで人間の理性もまた、経験の世界という「抵抗」がなければ機能しないということを示したかったようです。
鳩と空気の関係は、人と社会の関係に何だか似ています。社会がなければもっと自由に生きられるだろうと思いますが、実際には社会がないと生きていけないからです。

まとめ
1.鳩と空気、人と社会
2.空気を選んできた生物達
3.社会を選ぶということ

結論
生物によって適した空気は違う。人間も然り。

1.鳩と空気、人と社会

空気が無いと鳩は飛べませんし、社会が無いと人は生きていけません。社会との接触を最小限にすることは出来ても皆無にすることは出来ません。
社会にストレスが無いのであれば、学校や会社に住んだ方が通学・通勤が無いだけ楽だと思いますが、大宗の人はどんなに疲れていても満員電車で必ず家に帰ります。それだけ社会による精神的な疲れは肉体的な疲れよりも大きいということです。家に帰って寝るまでの時間はほんの数時間ですし、独りになれる時間もごく限られていますが、それでも人は家に帰ります。

2.空気を選んできた生物達

空気や社会は、環境と言い換えることも出来ます。自然環境はそもそも極めて多様ですし、殆どの生物は特定の環境に適応することで進化してきました。
あらゆる環境に適応し世界中に分布している生物は限られています。ネズミ、ハエ、ゴキブリ、アリ、そして人間です。
高山のような過酷な環境に適応した生物もいます。高山植物は、凍結を避けるための特殊な細胞構造を持っており、強い紫外線に対する保護機能として厚い葉や紫外線を吸収する化学物質を持っています。また、強風による脱水や損傷を避けるため、地面に密着した形状をしています。高山に住む動物も然りです。ヤクやアルパカは低酸素環境に適応しています。どうしてこんな過酷な環境で生きているのかというと、敵が少ないからです。つまりストレスが無いということです。
空気が薄くても、紫外線が強くても、風が強くても、極端に寒くても高山で生きた方が良いからです。
「カントの鳩」では、一般的な空気しか想定していないと思いますが、空気にも色々あります。気圧、酸素濃度、温度、湿度を考えれば多様性は無限です。
鳩によって適した空気は違うでしょうし、同様に人によって適した社会は違います。

3.社会を選ぶということ

大宗の生物と違って、人間はあらゆる環境に適応するように奮闘し、世界中に分布しました。自然環境程には多様ではありませんが、人間社会にも一定の多様性があります。生きづらさを感じたら、自分に適した社会に自由に移動するべきだと思います。
ひと昔前では、転校や転職に世間的なハードルがありましたが、終身雇用等も崩れつつあり、ハードルも低くなりつつあります。
ただ、日本社会はまだまだ多様性が乏しい気がします。どこにいっても大体同じです。平成の時代に道州制の議論が盛り上がりましたが最近は殆ど聞かなくなりました。自分の国籍を変えて他国民になることは今でも難しいですが、せめて国内で自分に適した社会を選択するような自由度は欲しい気がします。そうでないと所謂「足による投票」が起きません。「足による投票」とは、個人が自分の居住地や国を離れることで、その場所の政治的、経済的、社会的状況に対する不満や反対の意思を示す行動です。
その点、アメリカはダイナミックだと思います。そもそも自由を求めて世界中からやってきた移民の国ですし、連邦制であり州ごとの特徴が顕著です。
「足による投票」も活発で、2020年にはカリフォルニア州から他の州へ65万人もの大量流出がありました。他の州へ移住した主因は、低い税金や手頃な価格の住宅、企業に対する規制の緩和などです。また、ニューハンプシャー州にリバタリアンが移住し、リバタリアンが多くの選挙で勝利するような現象も起きています。
ほぼ単一民族で同調圧力の強い日本で、ここまで変わるには時間がかかるかも知れません。物理的な移動が活発化するよりも、仮想世界に多様な社会が出現する方が先かも知れません。
生物によって適した空気は違いますし、人間も然りです。仮想世界に自分に適した環境があれば体験すべきです。そこには物理的な国境もありません。

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