黄金律

哲学

新約聖書のマタイ福音書にある山上の垂訓の一節に「すべて人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ」とあります。所謂「黄金律」です。
要するに、「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」ということです。
倫理的な行動原則として広く認識されている内容であり、且つ分かりやすいです。そこが黄金律と言われる所以でもあります。黄金律があるのは人間が社会的な動物だからでしょう。
一方で、アリやハチのような昆虫や、チンパンジーやイルカのような哺乳類も社会的動物とされていますし、コミュニケーション、協力、役割分担など、高度な社会行動を示しますが、彼らの行動原理は黄金律ではありません。遺伝子からの指令です。

まとめ
1.多くの宗教・哲学において黄金律がある
2.黄金律には派生形がある
3.黄金律がないというのが黄金律という考え方もある

結論
黄金律が忖度と同調圧力を生む場合がある。

1.多くの宗教・哲学において黄金律がある

黄金律は、新約聖書のものが有名ですが、洋の東西を問わず同様の言葉が語られています。
孔子:己の欲せざるところ、他に施すことなかれ(論語)
ユダヤ教:あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。(ダビデの末裔を称したファリサイ派のラビ、ヒルレルの言葉)、自分が嫌なことは、他の誰にもしてはならない(トビト記)
ヒンドゥー教:人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない(マハーバーラタ)
「自分にして欲しいことをせよ」と「自分にして欲しくないことはするな」という違いはありますが、社会生活を円滑にするというベースの考え方は同じです。これだけ様々な宗教や哲学において語られているということは、それだけ普遍的な内容ということでしょう。

2.黄金律には派生形がある

実は、黄金律には派生形があります。大きく分けると3つに分かれます。
黄金律(GoldenRule):「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という原則です。
白銀律(SilverRule):「自分がされたくないことを人にしてはいけない」という原則です。
白金律(PlatinumRule):「人があなたからしてもらいたいと思っていることを人にしなさい」という原則です。相手のニーズや期待を理解し、それに基づいて行動するという考え方です。他人の視点から行動を考えるという原則です。
黄金律と白金律は、「自分が他人からして欲しいことを相手にする」と「相手がして欲しいと思っていることを相手にする」という違いがあります。白金律を一言でいうと「忖度せよ」ということです。忖度とは他人の気持ちを推し量ることです。誰にでも白金律で対処する人は立派だと思いますが、権力者に阿る人は、黄金律と白金律を使い分けています。

3.黄金律がないというのが黄金律という考え方もある

戯曲家のバーナード・ショーは、「黄金律というのはないというのが黄金律だ」と述べました。何故なら、人の好みというのは同じではないからです。
自分が他人からしてもらいたいと思うことを、相手も望んでいるとは限りません。一例を挙げれば、上司との飲みがあります。活躍した部下を労う為に、上司が飲みに連れていくケースです。こういう上司は、自分だったらそうして欲しいだろうと考えて飲みに誘います。勿論、喜ぶ部下もいますが、内心面倒くさいと思っている部下も相当程度いるでしょう。
他者の思考回路は分かりません。従って、世間の物差しが判断基準になります。「我が社では、活躍した部下を飲みに誘うのが普通である」という物差しです。
上司は上司で「活躍した部下を誘いもしなかった」とう評判を気にします。結果的に、上司も部下も飲みたくないに飲みにいくという奇妙なことも偶に起こります。
黄金律も運用次第で忖度と同調圧力を生む場合があります。
ルース・ベネディクトが「菊と刀」で指摘したように、日本は恥の文化を持っています。
世間が定めた道徳基準や常識に反することは恥であると考えます。つまり判断軸は世間という他者次第となります。
黄金律は家族を超えた大きな社会を形成する為には必要な原則ですが、度を過ぎた運用や偏った運用をすると精神疲弊の原因になります。
ジャイアンがのび太を苛めることを望めば、スネ夫がジャイアンに忖度していじめに加担します。
ジャイアンとスネ夫には黄金律が成立していますが、スネ夫とのび太との間には黄金律は存在しません。

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