フェミニズム思想で有名なシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」という有名な言葉を残しました。
これは、彼女の代表作「第二の性」からの引用で、性別は生まれつきのものではなく、社会的・文化的な過程を通じて形成されるという彼女の見解を示しています。
また、彼女は女性が社会的、文化的に作られた存在であるという考察と同様のアプローチを「老い」にも適用しています。その名も「老い」という書籍を著しています。
「第二の性」では、女は女であるが故に疎外された存在であると論じましたが、「老い」のなかでも老人が老い故に疎外された存在だと説きます。女も老人も社会から「疎外された存在」という訳です。「老いは文明のスキャンダル」と彼女は語りました。
1.老いは文明のスキャンダル
ボーヴォワールが「老い」を著したのは、彼女が62歳の時だそうです。
彼女がこの本を書いた動機は、現代社会において老人は人間として扱われていない、老人の人間性が毀損されているということへの怒りです。
人間がその最後の15年乃至20年の間、もはや一個の廃品でしかないという事実は、我々の文明の挫折でありスキャンダルだと述べています。
廃品という言葉は非常に刺激的な言葉ですが、未曽有のスピードで少子高齢化が進行する国に住んでいる以上、目を背ける訳にはいきません。
文明社会でありながら、老いた人間を厄介者にして廃物扱いすることは、もはや文明社会とは言えません。
「楢山節考」という深沢七郎の短編小説があります。山奥の貧しい村を舞台に、老人が家族や村のために自らの命を絶つ「楢山まいり」の伝統を描く作品です。山深い貧しい村の因習に従い、息子が年老いた母を背板に乗せて真冬の楢山へ捨てにいく悲しい物語です。
作品では、母と優しい孝行息子との間の無言の情愛が描かれていますが、老いた人間を厄介者にして廃物扱いするような社会は、情愛すら失っているという点で、ある意味この山村より酷い世界です。
2.誰もがスキャンダルに巻き込まれる未来
老いは、現在の老人だけの問題ではありません。老いとは誰もが抗えない衰えの過程であり、老いは誰にも避けられません。死と同様に確定している未来です。
厄介者になった老人をどう扱うかで、その社会の質が測られます。「自分は厄介者になってしまった」と悲嘆する老人の心理も考える必要があります。「楢山節考」の主人公のように、老人が家族や村の為に自らの命を絶つ、或いは家族や社会への絶望から自らの命を絶つという事態も考えられます。
老いを疎外しない社会はどうしたら作れるのか、それは文明社会が引き受けるべき課題に違いありません。
極端な少子高齢化が進行するこの国において、今から課題に真摯に取り組まなければ、国民の殆どが悲惨な最期を迎えることになるでしょう。まさに一切皆苦です。
3.老いとは進化の結果であり殆どの動物に老いは無い
人間のように老後のある生物は殆どいないそうです。
鮭は誕生した川に帰ってきて生殖活動を行った後にすぐ死にます。従って鮭に老後はありません。
象は比較的長生きする動物ですが、老後はありません。老化現象は、DNAのエラーが原因ですが、象の体にはDNAにエラーのある細胞を断捨離する機能があり、老化はせずに心筋梗塞等で突然死亡するそうです。
それでは、人間には生殖機能が衰えた後にも長い老後があるのは、何故でしょうか。
哺乳類の中で「長い老後」を過ごすのは人間だけで、進化生物学が解き明かした「おばあちゃん仮説」という説があります。女性が生殖能力を失った後も生き続けることにより、自身の子どもや孫の世話をすることで、家族の生存率や繁栄を高めたと考えられています。
巨大な脳を持つ為に未熟な状態で誕生する人間は、長い養育期間が必要です。たまたま長生きする遺伝子を持った家族が、祖父母含めた集団で子供を養育することで、父母の負担を軽減出来た為、生存確率が高くなったのでしょう。
医療の進歩により、長い老後が更に長くなった訳です。資本主義社会では、効率最優先となる為に、老いた人間を厄介者にして廃物扱いしがちになります。
老いは文明のスキャンダルであり、科学技術だけでなく哲学含めた文明力を総動員して対処すべきだと思います。本当に重視すべきは、資本の増殖ではなく人間の幸福だからです。
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