フリーレン現象

アニメ

不老長寿の存在との共生をテーマとした作品を三つほど視聴しました。具体的には、「葬送のフリーレン」、「さよならの朝に約束の花をかざろう」、「江戸前エルフ」です。
「葬送のフリーレン」では、主人公のフリーレンは、1000年は軽く生きる長命種のエルフという設定です。魔王討伐の偉業を成し遂げた勇者パーティーの一員でしたが、自分以外のメンバーは次々と年老いて亡くなってしまいます。友人の勇者の葬儀において、フリーレンは自身が友人について何も知らず、知ろうともしなかったことに気付いて涙します。
「さよならの朝に約束の花をかざろう」では、主人公のマキアは、10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族イオルフという設定です。人間の男の子を育てますが、先に年老いて先立たれてしまいます。
「江戸前エルフ」では、主人公のエルダは、徳川家康によって異世界から召喚された不老不死のエルフという設定です。不死であるが故にこれまでに沢山の出会いと別れを経験しており、時折悲しみの混じった様な表情を見せます。
これらの作品がほぼ同時期に制作されたのは、偶然でしょうか。

まとめ
1.科学技術の進歩で不老長寿を選択出来る時代がいつかくる
2.子供の最期を看取ることが普通になる
3.自殺か他殺か事故でしか死ななくなる

結論
不老長寿が最適解とは限らない。それは家族の概念を変える。

1.科学技術の進歩で不老長寿を選択出来る時代がいつかくる

これらの作品は、不老長寿を考えるうえで、よい思考実験になります。同様なテーマの作品が同時期に制作されたのは、世界最速で高齢化が進む一方で、iPS細胞の活用やヒトゲノムの解析等医療技術が著しい進歩を遂げる状況下、我々の潜在意識において不老長寿をリアルに感じ始めているからかもしれません。
いつか不老長寿が実現する可能性があります。
そもそも生物が死ぬのは、進化の結果です。種としては、個体が死ぬことが最善の生存戦略だからです。有性生殖も死も種の多様性を確保する為に必要です。死なないとDNAエラーを蓄積した古い個体の親が生殖し続けてしまいます。DNAエラーを蓄積した古い個体を一斉消去し、種全体を守るシステムこそ老化による死です。
このまま医療技術が進歩したら、いずれ病気・怪我・老化による死を克服してしまうでしょう。そうした状況に適応できるかどうか分からない精神だけが取り残されます。

2.子供の最期を看取ることが普通になる

医療技術の進歩で不老長寿を実現した場合、それを受け容れる人間と受け容れない人間に分かれるかもしれません。
親が不老長寿を選択し、子供が不老長寿を受け容れなかった場合、親は子供の死を看取ることになります。映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」は、そういう物語です。
不老長寿とは、親しい人間との死別を繰り返すことでもあります。「葬送のフリーレン」で、当初フリーレンが友人について何も知らず、知ろうともしなかったのは、友人が直ぐに死んでしまうことが予め分かっていたからです。自分だけが生き残り、死別による深い悲しみがやがて訪れると分かっていても、家族や親友を作ろうとするでしょうか。愛すれば愛する程、深い悲しみが訪れることが分かっていても、深い絆を求めるのでしょうか。

3.自殺か他殺か事故でしか死ななくなる

また、医療技術が進歩して不老長寿が実現した場合、老衰と病死は無くなります。しかし不老長寿と永遠の命は違います。
不老長寿と雖も、永遠に生きられる訳ではありません。地球や太陽系、そして宇宙にも寿命がありますし、それ以前に自殺か他殺か事故で死ぬ可能性があるからです。
つまり、不老長寿である以上は、老衰による安らかな死はありません。安らかな死は克服してしまうのが前提だからです。悠久の時間を楽しめる一方で、悲惨な最期だけは確定します。
高橋留美子原作の漫画に「人魚の森」があります。主人公である漁師の湧太は仲間と共に浜に流れ着いた人魚の肉を面白半分に食べてしまいます。仲間は次々に死んでいき、湧太だけが生き残り、不老不死の体となってしまいます。そのため湧太は、人と交われぬ永遠の孤独をその身に背負うことになりました。
不老長寿が最適解とは限りません。それは家族の概念を変え、人間社会そのものを変えることでもあります。

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