詩人・萩原朔太郎の絶望と孤独

哲学

詩人・萩原朔太郎は、「日本近代詩の父」と称されますが、生涯にわたって強い絶望と孤独に悩まされ続けた詩人でもありました。
「僕の孤独癖について」という短いエッセイもありますが、痛々しい程の孤独が吐露されています。天才故の孤独といえるかもしれませんが、共感できる部分も多々ありました。
彼の作品に「死なない蛸」という詩があります。水族館の忘れ去られた水槽の中で自らの身体を食い破っていき、しまいには跡形なく消えてしまいながらも、人の目に見えない姿で永遠にそこに生きていたという蛸を描いた詩です。ややグロテスクではありますが、底知れぬ絶望と孤独が表現されています。

まとめ
1.風変わりな性格から小学生時代から仲間外れにされる
2.烈しい強迫観念と反対衝動に悩まされ人付き合いが恐怖に
3.交際が苦手で利害交換の妥協も出来ず更に孤独に

結論
文学や哲学に旅する。時代を超えた交流をする。

1.風変わりな性格から小学生時代から仲間外れにされる

萩原朔太郎は、小学校の頃から風変わりな性格だったらしく、学校では一人だけ除け者にされていたようです。学生時代は悪夢のような日々を過ごし、人間嫌いになり、非社交的になってしまったようです。
学校の休み時間には、よく運動場の隅に隠れていたようですが、ガキ大将に見つかって皆から苛められたと述懐しています。

2.烈しい強迫観念と反対衝動に悩まされ人付き合いが恐怖に

彼は、周囲からの苛めだけでなく、自分の性格にも苦しんでいました。
非常に神経質で恐怖観念が非常につよく、女中が壁に映した杓文字の影を見て卒倒し、二日間も発熱して寝こんだこともあったようです。また、色々恐ろしい幻覚にも悩まされたといいます。
また、烈しい強迫観念もあり、門を出る時は左足からでないと踏み出さない、四つ角を渡る時は、いつも三遍ぐるぐる回る等、自分でも馬鹿馬鹿しいと自覚しつつも、止めることが出来ませんでした。
更に、意識の反対衝動に駆られることも多く、町へ行こうとして家を出ると反対の森の方に行ってしまうこともあったようです。しかも反対衝動は避けがたく抑えることが出来ないのです。
大人になってドストエフスキーの「白痴」を読んだ際に、反対衝動的行動を起こす主人公を、正しく自分のことだと思ったそうです。
こうした天性の気質が更に彼を人間嫌いにしてしまいました。いつ反対衝動の発作が出るか分からないので、人前に出るのが心配で精神をすり減らしてしまったようです。

3.交際が苦手で利害交換の妥協も出来ず更に孤独に

人間同士の交際には、相互の自己抑制がつきものですし、ある意味打算的な付き合いというものも存在します。仕事上の関係には特にそういう側面はあるでしょう。
しかしながら、萩原朔太郎は、そうした付き合い上の自己抑制が苦手で、打算的な利害交換の妥協も嫌いでした。結局は一人で孤独に過ごす時間が多かったようです。
彼にとってこの世界は極めて生きづらかったに違いありません。
厭世哲学で有名なショーペンハウアーの説によれば、「詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるように宿命づけられているのであって、且つそれ故にこそ、彼等が人間中での貴族であり、最高の種類に属する」とのことですが、萩原朔太郎はこの説に慰めを感じていたようです。しかし彼も好きで孤独でいた訳ではありません。
「畢竟人が孤独で居るのは、周囲に自分の理解者が無いからである。天才が孤独で居るのは、その人の生きてる時代に、自己の理解者がないためである。即ちそれは天才の特権でなくて悲劇である。」と述懐しています。
誰しも抑えがたい孤独を感じることはあります。誰からも理解されない寂しさもあるでしょう。同じ時代に理解者と巡り合うことは、ないかもしれません。
しかし、人間は何万年も生き延びてきましたし、同様に孤独に苦しんだ先人達も数多くいます。時に文学や哲学に旅するのも良いことだと思います。人類が誕生して以来、延べ人数でどれだけの人生があったのか分かりませんが、同じ悩みを抱えて孤独に苦しんだ人間はきっといます。
萩原朔太郎が、ドストエフスキーやショーペンハウアーに辿り着いたように、先人達と時代を超えた交流をするのも良いかもしれません。

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