夏目漱石「私の個人主義」

哲学

明治の文豪である夏目漱石の「私の個人主義」という作品があります。学習院での講演録です。短い作品ですので短時間で読了可能です。暗中模索しつつ悩みながら個人主義に辿り着いた漱石の切なる思いが伝わってくる良い作品でした。

まとめ
1.他人本位ではなく自己本位が大切
2.他人の個性も尊重しなければならない
3.自由と国家主義と個人主義の関係は流動的

結論
他人の自由も尊重しつつ自己本位を追求する。

1.他人本位ではなく自己本位が大切

夏目漱石は、生後間もなく里子に出されましたが、9歳の時に養父母が離婚し、実家に戻るなど、その幼少期は波乱に満ちていました。帝国大学英文科卒業後、松山中学、五高(熊本)等で英語教師となります。しかし、教師になっても常に心は空虚で、教職にも興味が持てなかったようです。何をすればよいのか見当もつかず、「あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。」と吐露しています。
その後、英国に留学しますが、いくら書物を読んでも答えが見つからず、「嚢の中」から出られない状況は変わらず、留学中は極度の神経症に悩まされたといわれています。
そして、文学とは何か、その概念を「根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだ」と悟ったといいます。
この自己本位を中心に据えた漱石は、精神的に強くなり不安を消し去ります。彼は「多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。」と表現しています。
他人本位とは人真似であると言っています。「たとえばある西洋人が甲という作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかす。」と例をあげています。
明治新政府が殖産興業や富国強兵を掲げ、西洋先進諸国の制度、文物、産業、技術の導入を積極的に推進していた時代背景のなか、他人本位で考えなしに西洋のものを鵜呑みにする風潮もあったのかもしれません。
自分が自分本位ですることに、周囲の批評は関係ありません。

2.他人の個性も尊重しなければならない

漱石は、また人間が「権力」や「金力」を持ち優位な立場に立つと他人の個性を潰す危険性があると話しています。
そして「自己本位」に生きるということは、同時に他者の個性も尊重しなければいけないと話します。そして以下のように総括しています。
「第一に自己の個性の発展を仕遂しとげようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴ともなう責任を重おもんじなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。」
修養を積んだ人格者でなければ、権力と金力を使う価値は無いですし、使ったら社会の腐敗をもたらす訳です。

3.自由と国家主義と個人主義の関係は流動的

漱石は、イギリスという国は、大変自由を尊ぶ国であり、自分の自由を愛するとともに、他の自由を尊重するように社会的教育を確りしていると話しています。その上で、国家主義と個人主義を安易に対立させる考えを戒めています。
「私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。」と言っています。
また、「自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。」
「国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る、それが当然の話です。」と語ります。
まず、国家の平和という礎があってこそ、自己本位が発揮できるということでしょう。
戦争になれば、まずは国家の為に尽力し平和を取り戻さなければならないですし、平時から国家、国家と騒ぎまわる必要はない訳です。
国家主義と個人主義の軽重は、情勢により変化します。
漱石が講演をした当時の世相は、「国家主義」に傾倒していた時代とも言えますが、そのなかでも個人主義を掲げ、自己本位を貫いた漱石の生き様には惹かれるものがあります。

タイトルとURLをコピーしました