世界五分前仮説

哲学

イギリスの哲学者でノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセルは、「世界五分前仮説」という思考実験を提唱しました。
その内容は「もし人や物、歴史や記憶、世界の全てが五分前に神によって突然作られたものだったとしたら」というものです。
世界が5分前にできた、と言われても、そんなことはあり得ないと誰しも思います。しかし、実はこの仮説を否定できないことが知られています。

まとめ
1.世界五分前仮説を否定することは出来ない
2.過去と現在には論理的・必然的な結びつきはない
3.人間の記憶はいい加減である
結論
過去の記憶にこだわり過ぎると前進できない。記憶の解釈を変えることは出来る。

1.世界五分前仮説を否定することは出来ない

ラッセルによると、「世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が覚えていた状態で突然出現した」という仮説に論理的不可能性は全く無いと言います。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的・必然的な結びつきもないので、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説に反駁する根拠には全くならないという訳です。
「過去」は既に終わったことであり、「現在」には存在しません。あくまで「過去」とは頭の中の知識・記録でしかなく、「現在」や「未来」との論理的な結びつきは無いことになります。
従って、「現在」や「未来」は、「過去」があったエビデンスにはなりません。数十年前の過去の記憶も5分前に作られたことについて反駁できません。

2.過去と現在には論理的・必然的な結びつきはない

勿論、ラッセルも世界が5分前に出来たと本気で信じていた訳ではありません。
要するに、世界五分前仮説から「異なる時間に生じた出来事間(過去と現在)には、論理的・必然的な結びつきはない」ということを主張したかった訳です。
イギリスの哲学者ヒュームの因果論にも似たような話があります。
例えば、「マスクを着けなかったので、インフルエンザに罹った」という因果関係について考えます。
「マスクを着けなかったこと」と「インフルエンザに罹った」ことには、論理的・必然的に結びつきは実はありません。
接近した過去に、マスクを着けなかった人がインフルエンザに罹った事例が多かっただけです。
「時間的先行」と「接近」を満たす事象が多く発生すると、人間は因果関係を作ってしまいます。つまり帰納法です。因果論に確証など無く、過去の臆見が恒常的連接により、いつの間にか確固たる信念に変貌する訳です。

3.人間の記憶はいい加減である

人間の過去の記憶も実はいい加減です。例えば、心理学者エリザベス・ロフタスは、人間の記憶がどれほど簡単にねじ曲げられるかを示す実験を行いました。まず、数十人の大学生に車の衝突事故の映像を見せます。その後、大学生を5つのグループに分けて、事故の状況について質問を行いますが、その際グループ毎に質問の表現を若干変えます。
あるグループには「車が衝突したとき、どのくらいの速度で走っていましたか」と尋ね、他のグループには、「車が激突したとき、どのくらいの速度で走っていましたか」といった具合です。
その結果、まったく同じ映像を見ているにも拘らず、5つのグループで速度の回答は少しずつ異なりました。
更に、「車の窓ガラスは壊れたか」という質問をすると、「激突した」という表現で質問をしたグループでは「イエス」という回答が目立って多くなりました。
実際の映像では窓ガラスは壊れていませんでしたが、「激突」という言葉に引きずられて、記憶が作り替えられた訳です。
過去の記憶は恐ろしいものです。トラウマになることもあります。しかしそのトラウマが5分前に作られた記憶である可能性には反駁できません。
また、過去は単なる記憶であり、そもそも現存しません。更にいえば、記憶はいい加減なものです。
過去の記憶にこだわり過ぎるとなかなか前進できませんが、記憶の解釈を変えることは出来るはずです。ロフタスの実験のように記憶が簡単に上書きされるのであれば、自分で過去の解釈を変えて能動的な上書きも出来るかもしれません。

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