半端ではないスイス魂

歴史

スイスのイメージについて問われれば、アルプスの雄大な自然、永世中立国、時計等の精密機械、国際赤十字、多くの国際機関、アルプスの少女ハイジ、ウィリアム・テル等が連想されますが、この国の歴史を知れば知る程興味深く、好奇心は尽きません。一般的なイメージとはギャップがあります。

まとめ
1.元々は傭兵国家であったスイス
2.永世中立への覚悟
3.平和への執念

結論
スイスは平和を希求するガッツが違う。

1.元々は傭兵国家であったスイス

そもそも興味を持ったきっかけは、ローマ教皇を警護するバチカン市国の衛兵がスイス人傭兵だと知ったことでした。ミケランジェロがデザインしたと伝えられる、16世紀に採用された青と黄、オレンジの縦縞模様の軍服を着た衛兵です。
何故バチカンにスイス人傭兵がいるのでしょうか。永世中立国のイメージとのギャップがあります。歴史を調べるうちに経緯が分かってきました。現在のスイスからは想像し難いですが、国土の大半が山地で農作物があまりとれず目ぼしい産業も無かった嘗てのスイスにおいて、傭兵稼業は重要な産業でした。
スイスは強大な軍事力を保有する事となり、傭兵の派遣が国の経済を支えていた為に「血の輸出」とも呼ばれました。
14世紀にスイス原初同盟がハプスブルク家を破って独立を果たすと、スイス兵の精強さがヨーロッパで認められるようになります。バチカン市国のスイス衛兵は往時の名残です。また、スイスのルツェルンの断崖に刻まれたライオン記念碑は、フランス革命の際にルイ16世の命令を守り、降伏後に市民に無抵抗のまま殺害されたスイス人傭兵を偲んで作られたモニュメントです。実はアルプスの少女ハイジのお爺さんも、ナポリの傭兵として戦場を渡り歩いたという設定になっています。

2.永世中立への覚悟

スイスは、1515年にイタリアでの戦争で大敗を喫したのを機に拡張政策をやめて中立的な立場を取るようになりました。永世中立国として正式に承認されたのは1815年、ナポレオン戦争終結後のウィーン会議です。内陸国スイスを緩衝地帯としたい周辺大国の思惑もありました。
中立であったが故に、様々な陣営に傭兵を派遣出来たとも言えますが、スイス人同士が戦う羽目になることもあったようです。
現在のスイスにおける国防の基本戦略は、拒否的抑止力です。敵国にとって、スイスを侵略することによって得られる利益よりも、スイス軍の抵抗や国際社会からの制裁によって生じる損失の方が大きくなる状況を作り出すことによって、侵略を未然に防ぐ戦略です。
要するに侵略は全く割に合わないと敵に思わせることです。この点においてスイスは徹底しています。スイスでは国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用しています。多数の成人男子が、予備役や民兵として有事に備えているだけでなく、軍事基地が岩山の地下に建設されるなど高度に要塞化されており、有事の際、速やかに国境を封鎖出来るよう国境地帯の橋やトンネルには、解体処分用の爆薬を差し込む準備が整っています。しかもスイスの核シェルターの人口カバー率は100%を超えています。
有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら、永世中立を堅持している訳です。半端のない覚悟だと思います。

3.平和への執念

改めて考えてみると、欧州の中心に位置し大国に隣接する内陸国スイスが、長きに亘り、中立を堅持してきたことは、地政学上の奇蹟といっても過言ではありません。
スイスも日本も自由と平和を希求する点は同様だと思いますが、スイスを知れば知る程、覚悟と執念に埋めがたい乖離を感じます。
日本は天然の堀である海に囲まれてはいますが、地政学リスクはスイスよりも圧倒的に大きいと言えます。スイスにおける国防の基本戦略は拒否的抑止力であり、専守防衛の姿勢をとる日本も同様ですが、平和を希求するガッツが違います。
ほぼ単一民族国家の日本よりも、多民族・多言語国家のスイスの方が寧ろ有事の結束力が強いように見えます。

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