孤独による寂しさの正体

哲学

何故、孤独になると寂しさを感じるのでしょうか?
家族を失い独身になって以降、何度も寂しさに圧し潰されそうになりましたが、この厄介な感情について、自分なりにいろいろ調べて考えてみました。

1.孤独になると寂しさを感じるように人間が進化したから

宇宙が誕生したのは138億年前、地球が誕生したのは46億年前、生物が誕生したのは38億年前といわれています。
原初の生物は単細胞生物でした。彼らは寂しさを感じたでしょうか?
恐らく寂しさ含めて感情はなかったでしょう。ただひたすらに周囲の環境に対して、物理的・化学的に反応していただけです。
その後、多細胞生物に進化し、カンブリア爆発を経て生物は一気に多様化し、現生生物へと進化していきました。
それでは人間以外の生物は寂しさを感じるでしょうか?
例えば、節足動物のマダニ(ダニの一種)。
木の葉の裏に隠れて待ち伏せしていたマダニの下を犬が通った時、お腹の空いたマダニはそれに飛びつき血を吸う、と一般的には考えられています。
しかし、それは人間同様の自由意志を勝手に他の生物にあてはめているだけであり、実際にはマダニは意志など持っていません。
マダニは遺伝子の設計通りに、「嗅覚に酪酸(皮膚線から出る臭い)の刺激が受容されたら、手を離して落ちる」という反応をしているだけです。
多細胞生物であっても細胞の集合体である以上、細胞間の反応の連鎖によって行動しているだけです。人間も事情は同じです。孤独になると寂しさを感じるように設計されている訳です。
つまり適者生存という進化論の原理に従って、寂しさを感じる種が生き残った結果です。
何故そうなったのでしょうか。人間は元来弱い生物です。牙も鍵爪もないですし、戦闘能力は低いです。しかも逃げ足も遅い。どうして生き残ることができたのでしょうか。
それはチームワークのお陰です。皆で協力して罠を仕掛けてマンモスを倒すことができたからです。
だからチームから仲間外れにされることは、旧石器時代では死を意味しました。その結果、孤独になると寂しさを感じ、孤独への恐怖感が強くチームに居続けようとする個体が生き残りました。独立独歩の一匹狼や冒険野郎は死に耐えました。今の人類は寂しがり屋の子孫ということになります。寂しがり屋の遺伝子が生き残った結果です。

2.寂しいのは暇だから

「人間は考える葦である」でお馴染みのフランスの哲学者パスカル。彼は主著「パンセ」のなかでこんなことを書いています。

およそ人間の不幸というものは、退屈が生み出す。満ち足りた有閑人にやる事がなくなり、じっくり考える時間が与えられれば、老いや病気や事故や死や没落、そして自分の存在の無を想像し、怯え不安になる。
そこで孤独の中で考える時間を与えないよう、気晴らしというものが必要になる。賭け事、スポーツ、社交界、戦争といったものが求められる。別にお金が欲しくて賭けをするのでも、獲物が欲しくて狩猟するのでも、彼女が好きで恋をするのでもなく、ましてそれに幸福を感じるためでもない。ただ、考えを逸らせ気をまぎらわせる「せわしさ」を求めているのである。人間が騒がしさや飛びまわることを好み、独房が恐ろしい責苦となるのは、そういう理由からだ。しかし、彼ら自身は、自分達が求めているものが獲物ではなく、狩猟そのものだということを知らない。自己の悲惨や虚無を垣間見た時に生まれた、気晴らしや熱中を志向するひとつの本能。それとは逆に、静かな安らぎの中にある本質的な幸福を求める本能。しかし、安らぎを成就しても、今度はそれに耐えられなくなり、気晴らしを求める。人間はこれら二つの間を揺れ動いているうちに、人生は終わる。人間はとにかく自分を騙すことが必要なのだ。自分で熱を上げる理由を勝手に作り出し、自分ででっちあげた対象に向かい、自分の欲望や感情を掻き立てる。

パスカル:「パンセ」

とても鋭い考察だと思います。なかなか反論は難しいですね。
退屈が人間を不幸にするのであれば、退屈はどうして生じるのでしょうか?
どうやら太古の時代に人類が定住生活を始めたことと関係があるようです。
一万年前に定住生活を始める以前、人類はずっと遊動生活をしてきました。氷河期が終了して温暖化が進んだ結果、温帯の森林が拡大し、マンモス等の大型獣が減少しました。
食糧のうち木の実などの植物や魚等への依存度が増加しましたが、一年中収穫できるわけではありません。食糧を貯蔵する必要が生じました。
大量の食糧を貯蔵するには、遊動生活は出来ません。やむなく定住生活が始まりました。
遊動生活では、常に移動する為に新環境に速やかに適応する必要がありました。つまり五感はフル稼働し、大脳は常に大量の情報処理をする必要があったわけです。
定住生活では、五感からの信号は大幅に減少し、大脳は退屈状態になってしまいます。
オーバースペックとなった退屈状態の大脳は、孤独による不安を種に雑念を量産するようになってしまいました。
退屈の苦しみから逃れる為に、人類は必死で暇つぶしを図ります。それが文明を生み出すことになります。
誰しも仕事が忙しい時や、ゲームに没頭している時などは、しばし寂しさを忘れることがあると思います。没頭し続けるのもなかなか大変ですが。

3.脳は基本的に怠け者だから

人間の脳は非常にエネルギーを多く消費する臓器です。体重の約2%しかないにも関わらず、体全体のエネルギーの約20%を消費します。その為、脳には怠ける機能がビルトインされています。
著名な行動経済学者ダニエル・カーネマンによれば、人間の思考には「ファスト」と「スロー」の2種類があるとのこと。
「ファスト」な思考(システム1)は直感的で自動的な思考で、「スロー」な思考(システム2)は論理的で意識的な思考です。

「ファスト」の思考は、瞬時に結論を導くため、脳のエネルギー消費を抑える思考です。これが「脳の怠け癖」の正体です。直感と言い換えても良いでしょう。
一方、「スロー」の思考は、より深く、論理的に考えることを要求しますが、これは脳にとってエネルギーを大量に消費する活動であり、脳はこのような活動を基本的に避けようとします。しかし、「ファスト」な思考は誤った結論を導くことがあり、その原因は「バイアス(偏見)」と呼ばれます。
つまり、脳はエネルギーの節約のために「ファスト」な思考を好みますが、それが誤った結論を導く可能性があるということです。
「スロー」な思考で論理的に考えれば、「何故寂しいのかな? 暇だからなのかな?」とメタ認知で自分を客観的にとらえて、対策を考えることが出来ます。
「気分転換に小説でも読もうかな」とか「散歩しながら日光を浴びて、セロトニンを生成して鬱状態から脱出しようかな」とか合理的に対処できるでしょう。
「ファスト」な思考に委ねたままでは、寂しさの無限ループから抜け出せません。
落ち込んでいる時ほど、「ファスト」な思考に委ねるのは得策ではないでしょう。寂しさの蟻地獄に落ちてしまいます。
落ち込む前に思考を「ファスト」から「スロー」にチェンジするしかありません。

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