芥川龍之介の作品に「河童」があります。主人公が山登りの最中に河童を見つけ、追いかけるうちに河童の国に迷い込むという内容です。人間世界とは全く異なる価値観が描写されていますが、そのなかに河童の出産についてのシーンが登場します。
とある河童が妻のお腹のなかの子に対して、「この世界に生まれてくるかどうか」と質問します。
するとお腹の子は、生まれてくることを拒否します。産婆がその場で妻に何か注射をすると、 今まで大きかったお腹がたちまち風船の空気が抜けるように縮んでしまいます。
河童の世界では、子に生まれるかどうかの選択権がある訳です。
1.河童と異なり、生まれたくて生まれた人間はいない
全ての生物について言えるのは、生まれたくて生まれた生物は存在しないということです。
そもそも生まれるタイミングで出生の可否を判断できる知性も知識も無いですし、仮にあったとしても、生まれた方が良いかどうかは、それこそ生まれてみないと分からないからです。
生まれるのは両親の意志によると一般的には考えられていますが、ベンジャミン・リベットの有名な実験以降、実は人間にも自由意志は無いという説が有力になっています。それが真だとすると両親の意志ですらないことになります。両親の誕生も祖父母の意志ではありません。 無限の因果の連鎖のなかで生まれてくるだけなので、生まれることは 138 億年前のビッグバンの時点で既に決定していたことになります。
哲学の世界では、「すべての人間あるいはすべての感覚ある存在は生まれるべきではない」という反出生主義の考え方があります。
代表的な提唱者は、南アフリカの哲学者のデイヴィッド・ベネターです。彼は快楽と苦痛の非対称性を指摘しています。人間が存在しなければ苦痛を経験する可能性はゼロになりますが、快楽を経験する可能性もゼロになります。しかし、それは問題ではないと指摘しています。 何故なら存在しない存在にとっては、快楽を経験しないことは損失ではないからです。一方で、存在することによって避けられない苦痛を経験することは明らかに損失となります。
「存在する」 : 苦痛の存在 (✕)、快の存在 (◯)
「存在しない」 :苦痛の不在 (○)、快の不在 (どちらでもない)
上記を比較すると、「存在する」場合は、○と✕の大小で決まりますが、「存在しない」場合は、メリットの収支はプラスになるという訳です。
2.仏教では一切皆苦であるが輪廻転生があるので出生は止まらない
ブッダが創始した仏教では、もっと過激です。仏教における四つの根本的な理念に四法印があります。諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦です。
一切皆苦とは、「この世の全ては、結局は苦である」ということです。バラモン教の時代から過酷なカースト制度があったインドでは、人生は即ち苦であるという意識が強かったのかもしれません。
一切皆苦にも拘らず、生物は生まれてきます。たとえ死んでも輪廻転生しますので、また生まれてしまいます。輪廻転生から抜け出すには解脱するしかありません。
アニメ「進撃の巨人」では、ユミルの民が巨人の力を持つことで悲劇が続いていました。そこでジークは、始祖の力によりユミルの民が子供を産めないようにする計画を立てました。 これもある種の反出生主義と言えます。この世界には輪廻転生はありません。ユミルの民がユミルの民に生まれ変わると計画の意味がないからです。
3.負の功利主義という選択肢もある
反出生主義の哲学者の一人、ノルウェーのサブフェは、人間とは意識が過剰に発達してしまった為に死が運命づけられていることを認識できる唯一の種であると述べています。人間は未来を予測することが可能で、正義と世界に意味があることを期待しますが、我々は決して欲望を満足させることはできません。それでも人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならないと述べています。
人間は過剰に脳を進化させてしまったが故に、不幸を宿命づけられている訳です。サブフェは、 人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要があると主張しました。殆どジークですね。
ネガティブな言説が続きました。世界は苦痛に満ちていますが、生物である以上、出生は止まりません。生まれることを与件として生きるしかありません。
一切皆苦が前提なのであれば、苦痛を最小化する選択肢もある筈です。イギリスの哲学者カール・ポパーは、負の功利主義を提唱しました。
功利主義といえば、「最大多数の最大幸福」で有名ですが、負の功利主義とは、「最大多数の最小苦痛」ということです。
人生は本当に一切皆苦なのかも知れませんが、同じ苦痛を経験しても、その苦痛をどう解釈するかは人それぞれです。苦痛を最小化するヒントはそこにあるのかも知れません。
ブッダは煩悩を消すことで、決して満たされない苦痛を軽減するメソッドを考えました。
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