働かないアリ

心理学

「アリとキリギリス」の寓話の影響か、アリは働き者というイメージがありますが、アリのコロニーにおいては、働かないアリが一定程度いるそうです。不思議なことに、働かないアリがいないとコロニーは存続できないとのこと。何故でしょうか。

まとめ
1.働かないアリがいるのは、種の存続に必要だから
2.働かない人間には逃げ道の無い日本社会
3.働かないと働けないは違う
結論
余裕が無い組織は滅びる。日本社会は人材の流動性が乏しい。

1.働かないアリがいるのは、種の存続に必要だから

コロニーのなかに働くアリと働かないアリがいます。両者の違いは何でしょうか。様々な研究によると、反応閾値に違いがあるようです。
反応閾値とは、仕事に対する反応性のことで、いわば仕事に対するフットワークの度合です。働きアリたちの前に「幼虫を世話する」「巣を作る」「食物を取りに行く」といった仕事が出現すると、反応閾値の低い、フットワークの軽いアリがまず働き始めます。
更に仕事が増えてくると、反応閾値の低い方のアリから順次仕事に参加していきます。そして、働いていたアリが疲労して働けなくなり、仕事が処理されずに溜まっていくと労働刺激が大きくなり、反応閾値が高いアリが働き始めるわけです。
もし、コロニー内全てのアリの反応閾値が同じだった場合は、どうなるでしょうか?仕事が出現した瞬間に、全てのアリが一斉に仕事を始めますが、全ての仕事が終わるか疲れる迄働き続けます。
その場合、その仕事における生産性は上がりますが、襲来した敵への反撃など予期しない緊急事態が出現した際には、全てのアリが疲れ切っており対処できません。コロニーの存続に甚大な影響が出てしまうリスクがあります。
つまり、アリの反応閾値に個体差があることが、種の存続に役立っているという訳です。これは進化の結果であり、アリが考えた結果ではありません。

2.働かない人間には逃げ道の無い日本社会

一方で、人間の社会は基本的に「働かないアリ」を許さない社会です。
「アリとキリギリス」の寓話も、将来に備えてサボらずに働いたアリのような生き方を促す為に語り継がれてきた筈です。
アリ同様、人間にも仕事に対するフットワークの度合に軽重はあるので、反応閾値も個々に異なると思います。アリの場合は、反応閾値が高い(腰が重い)からといって非難されることはありませんが、人間の場合は、反応閾値が高いと「いつもサボっている」などと非難され、悪い評価をされ、処遇も悪化します。
アリの場合は、「幼虫を世話する」「巣を作る」「食物を取りに行く」など業務の幅は限られていますが、人間の仕事は千差万別です。
当然ながら、仕事の内容や、勉強の科目によっても反応閾値は異なります。仕事への反応閾値が高くても、ゲームや遊び等、興味のある分野では反応閾値が極めて低い場合もあります。
特に日本社会では、世間体的にも転職に対する心理的ハードルが比較的高く、終身雇用・年功序列を前提とした年金・退職金制度が残っており、これらの将来収入を人質に取られていますので、嫌な会社でもしがみついている傾向があります。
魅力に乏しく反応閾値が高い仕事ばかりで、うんざりしていても逃げ道がありません。集団内では、「反応閾値が低い」ことが常に求められ、処遇にもダイレクトに影響しますので、ストレスが増加します。
極限までその状況が進むと、意欲や自己肯定感の低下に至るか、過労死に至ります。

3.働かないと働けないは違う

社会では、「働かない」と「働けない」をあまり区別しません。「働かない」と整理されることが多いように思います。
本当は、「意欲が湧かない」「疲れている」「体調が悪い」等の理由があって、「働けない」のかもしれないのに、「サボりたいから働かない」と思われてしまいます。
どうしてサボりたいと思うのかについては、聞かれることはあまりありません。本人の行動特性(コンピテンシー)の問題にされてしまいます。
アリはコロニーを選べませんが、日本人も所属する会社を柔軟に変えることが出来ません。
一方で、アリは「働かない」ことで非難されませんが、日本人は非難されます。
「働かない」理由を自覚して、精神が壊れる前に「働けない」会社から、「働きたい」会社へ自由度高く移動できる社会が望まれます。
アリ同様、余裕が無い組織は滅びます。恐怖のなかからは、よい発想も生まれません。

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