「環世界」という言葉をご存知でしょうか?
「環世界」とは、エストニア出身のドイツの生物学者・哲学者ユクスキュルが唱えた概念です。一言でいうと、生物が、それぞれ独自の時間・空間として知覚し、主体的に構築した世界のことです。初めてこの概念に触れた時、「このような世界の捉え方があるのか」とちょっと感動しました。
1.生物によって異なる感覚機能
生物は、それぞれ独自の感覚器官を持っています。人間には五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)がありますが、ナマコには目・鼻・耳・舌といった感覚器官はありません。
また、人間同様に視覚はあっても、一部の昆虫には色覚が無いと考えられていますし、ナメクジやカタツムリの視覚は限定的で明暗を区別することしかできません。人間も可視光線は見えますが、赤外線、紫外線、エックス線は見えません。また、人間は蝙蝠のように超音波を捉えることはできません。
よく考えると当然のことなのですが、生物ごとに持っている五感は異なりますし、五感の機能も異なります。しかしながら、人間はあたかも他の生物にも五感があるかのように考えてしまいます。動物を主人公にした寓話や映画も多数ありますが、人間同様の五感があるかのように、擬人化して描写されています。
2.全ての生物が普遍的な世界を共有していると考えるのは偏見
人間は、自分の感覚器官によって捉えた空間は普遍的なものあり、そのひとつの大きな世界の中に、各生物が配置され生きていると思っていますが、実際にはそれぞれの生物がそれぞれ独自の世界を持っています。
ユクスキュルは、生物がそれぞれ独自の時間・空間として知覚し、主体的に構築した世界のことを「環世界」と言いました。
「環世界」は、各生物にとっての感覚器官によって知覚できる世界と、身体を使って働きかけることができる作用世界によって構成されます。
どの生物も自身の「環世界」が全ての世界だと思って生きている訳です。
ユクスキュルによると、個々の環世界はシャボン玉のようなものに包まれていると言います。それぞれ接してはいるが、摩擦なく全体の中で調和を取りながら存在しているというのです。見事な表現だと思います。
3.生物はそれぞれ固有の知覚世界のなかで生きている
人間は、主に視覚を使って把握された視空間を中心としていますが、ミドリムシのように視覚ではなく触毛によって空間を把握する生物もいれば、主に聴覚によって三半規管のコンパスのような作用で空間を把握する生物もいます。
空間だけでなく、時間の感覚も異なります。例えば、人間の知覚可能な時間の最小単位は約1/10秒程度ですが、カタツムリにおいては1/3秒から1/4秒という実験結果もあります。各生物は人間には決して認識も想像もできないような空間を世界として捉えています。シャボン玉のようなそれぞれの空間を形成し、そのなかでは異なる時間が流れています。また、空間や時間という枠組みを必要としない単純な環世界に生きる生物もいます。空間と時間は、それなりに高度な機能をもつ生物にのみ生じる枠組みだからです。
それぞれの生物の「環世界」を想像しているうちに、ふと、自分と他人の「環世界」についても同じと言えるのだろうかと疑問が生じました。
人間同士でも五感の機能は微妙に異なります。視力の強い方もいれば、絶対音感のある方もおり、同じ五感といっても程度の差は結構あります。
また、人間の脳には、RAS(Reticular Activating System)という機能があると言われます。
自分の興味や関心のある情報とそれ以外の情報を取捨選択し、必要な情報のみを脳にインプットする「フィルター」のような働きをします。
人間の脳は毎日大量の情報をインプットして処理していますが、その全てを処理し続けると莫大なエネルギーを消費するため、RASは必要な情報だけを選択して脳にインプットします。RASは、何に興味があるのかという意識的な思考によって、何を重要な情報として取り込むべきかを決定します。
カクテルパーティー効果とは、騒々しい環境の中でも自分に関係のある音声情報だけを選択的に聞き取る心理現象です。カクテルパーティーのような多くの人々が同時に話している状況で、自分にとって重要な会話だけを聞き取る能力から来ています。
つまり、同じ人間であっても、五感の機能は異なるうえに、五感でキャッチする情報も、本人の意識的な思考によって変わります。同じ時、同じ場所にいても異なる環境にいるといっても良いでしょう。
生物がそれぞれの異なる環世界を持っているように、人間もそれぞれが微妙に異なる環世界にいるのではないでしょうか。
全ての人間にとって普遍的な世界は無いと考えることが、柔軟な思考や多様性の受容に繋がるのかもしれません。